創作物への育児放棄。
「これを読みたいから書く」ということはもう無くなった。こういうのが読みたいなと考えることはあれど、ならば自分で書いてやろうと思うことは無くなった。理由としては
「自分では書き上げられないとわかっていること」
「自分の書いた文章なんか読みたくないから」
というのが割と大きい気がする。あとは、読んでみたいと思っても、自分で時間と気力を削ってまで書く必要性を感じないから。要はあってもなくてもどうでもいいということ。
されど小説、たかが小説。学生時代の私なら
「たかが小説、されど小説。私にしか描けない世界観で誰かをトリコにしたい」
と、理想だけは高く掲げていただろう。だけど今の私にとって、物語というジャンルの優先度はさほど高くない。どうでもいいからだ。
嫌いになったわけではない。そこは誤解しないでほしい。今でも本を読むのは好きだ。気になる表紙やタイトルがあれば、フィルムがかかっていない限り立ち読みしてみるなんてことも良くやる。
ただ、学生時代より優先順位が下がっただけ。何故優先順位が下がったかといえば、楽しいと思える時期を過ぎたからだろうと考えている。というか、それが今出せている答えだ。
何故読むこと、書くことが楽しくなくなったのか。それはたぶん、私が意識出来ている以上の様々な要因が絡まっている。だから断定はできない。だけど心当たりがないわけではなくて、その心当たりだってなんてことはない些末なもの。
要は、
「私は書き続けられる人間ではなかった」
というだけだ。
自分の体力、睡眠時間、気力を削って削って、ほかの何よりも創作を優先できる人間を私は知っている。
息をするように創作をして、それを当たり前のように(実際当たり前に)文字に書き起こせる。そしてそれを物心ついた頃から続けていて、自分が納得いく物語を書くために、普段から様々な知識をおそらくは無意識でネタとしてストックし、昇華する。その流れが本人の日常になっている人。
あるいは、生活や仕事とのバランスが崩れて長い間創作ができなくても、また新たに創作をしようと筆をとって、描ける人。ジャンルへの、創作への、自分の中に生まれた物語やキャラクターへの思い入れが強くて、それを形にするだけの熱量を持ち合わせて、筆を動かすための衝動を忘れていない人。
私はそのどちらでもなくて、何かを形にするだけの熱量や体力も、どんなことがあっても自分の中に生まれた物語を最優先にしたいという衝動も、ネタのために様々なことを学ぼうと思う意欲も忘れてしまった、ただの抜け殻でしかない。
何が私をそうさせたか。それは間違いなく私自身。書きたいところを書けたらそこでおしまい。物語を完結させるよりも自分の書きたいものを書けたという満足感を優先し、「たかが」創作のために寝食を削ることが面倒だと思った。そんな怠惰な私自身が、書くことが楽しくなくなった原因。
別に誰かにこっぴどく作品を批評されて心が折れたとか、自分よりもうまい人を見て嫌になったとか。そういうものも理由の一つかもしれないけど、私の「楽しくなくなった」という感情の核ではない。
だからといって妄想しないわけではない。物語を考えることはある。というか、ほとんど自然に考えていることが多い。即興小説サイトで出されたお題を見て、どんな話がいいかと考えてしまう。
そこは無意識な私がやっているとしても、どうせ書けないんだから無視すればいいのに、意識している私も乗っかってしまう。長かったときは一週間、そのネタが進んだり後退したりするたびにメモ帳を開いていた。
だけど絶対形にはしない。できないとわかっているから。何故か?最後の最後、これ以上考えられないところまで考えつくして、物語が展開されつくしたら、あとは放り投げる方が楽だからだ。
こんな話があったらいいな、と思考放棄すれば、思うように書けないと生みの苦しみを経験せずに済む。おそらくこの思考停止も、私が創作を楽しくないと結論付けてしまった原因なんだろう。
物語を考えている間の私に、衝動だとか熱量だとかいうものがあるとは思えない。脳みそが勝手に編み出したキャラクターの動きを、観察しているだけ。ただそれだけ。
ある人は私のこういう姿勢を
「創作(物語)に対するネグレクト」
と言った。なるほどな、と落ちる感覚があったのを覚えている。
私は、私の創作にとっての毒親なんだ。物語を生み出した創作者が負うべき、完結させるという責任を放棄し、生まれてきたキャラクターたちをエンディングまで導くという、注ぐべき愛情も放棄した。今の私の状態は、その罰なのかもしれない。
だからといってどうすることもできないのが私の現状だ。だって改善しようにも、私はずっとこれで来たから。ほかの人を見ていいないいなと羨み、私も改善してみようと思うだけ。実行に移すことなく、ここまで来た。やり直し方を知らない、苦しいのは怖い。このままの現状維持がずっと楽だから、同じところでうずくまって、目を背け続けている。
これでも前よりは落ち着いた方だ。以前はこんな状態にあることに気付かないふりをして、まだ私は創作が好きだ、好きなはずだとみっともなくあがいていた。改善方法を調べて、実行に移そうとして、それすらもできない自分に落ち込んで、たった一つの存在意義を失ってしまったと自分自身に失望していた。
だけどどんなに好きなものでも、飽きるときは必ず来る。どんなに夢中になったものでも、楽しくないなと思う時期がある。今の私は、「創作が楽しくない時期」なんだと気が付いて、声に出して、受け入れてから、もがくことをやめられた。
そうなったら今度は、鬱陶しいむなしさと寂しさが残った。殴り書きした物語のかけらを眺めて、これを書けるようになる日は来ない。私にこれは書けない、書き上げられない、絶対に満足できないと実感するとき。肺のあたりが重苦しくなる。肋骨のドームの中で蛇がとぐろを巻いているような、そんな感覚。
私はまだ、自分の創作に向き合って、愛情を注ぐ覚悟ができていない。それができない限り、この息苦しさからは逃げられないのかもしれない。
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