FC東京バレーボールチームを知ったきっかけとか
2021年12月、FC東京バレーボールチームの活動休止のリリースが出て数か月。
いちファンに何か出来ることはないんだろうかと日々悩んでいますが、改めて自分がFC東京バレーボールチームを知ったきっかけについて、書こうかなと思いました。
自分のことを最近フォローしてくれた方もいるだろうし、ここ数年、原点の話をあまりしていなかった気がするので、自己紹介代わりとしても。
あと、休止してから思い出話をしても遅い、後悔してしまうと思ったので。好きな気持ちは、使わないと廃れていってしまうんですよ。
全ては2016年11月から始まった
2016年から本格的にバレーボール観戦を始めて、Vリーグをしっかり見始めたのもこの年からでした。
当時は気になる選手はたくさんいたのですが、特にどこかのチームを応援している訳ではありませんでした。大阪在住なので、チーム関係なく大阪・関西で行けそうな試合は観に行こうというスタンスでした。
大阪市中央体育館(今では”丸善インテックアリーナ大阪”と呼ばれています)でサントリーサンバーズのホームゲームだったのですが、土曜日の第1試合はサントリーサンバーズ対FC東京、第2試合は豊田合成トレフェルサ(現:ウルフドッグス名古屋)対 東レアローズでした。
2015/16シーズンのサントリーはチャレンジマッチに行くなど苦しい状況だったのですが、このシーズンでは好調。この試合でもFC東京をリードする試合展開でした。
そんな中、途中から出場した、ルーキーのセッター手原紳選手が物凄く印象に残っていました。
トスワークもそうなんですが、壁どころか客席を飛び越えてボールを取りに行こうとするアグレッシブさ、他選手とのやり取りやチームの盛り上げ方。FC東京はストレートで負けたのですが、この試合では手原選手の印象がとても残っていました。
余談なんですが、当時は手原選手について全く知らなかったんですけど、これより前に行われた5月の黒鷲旗では「何か気になる選手だな…」と思って、無意識のうちに手原選手の写真を撮っていたみたいで、写真がけっこうたくさんあったんですよね。フラグはどうやら、5月から立っていたようでした。
翌日の日曜日の試合は、第1試合はサントリーサンバーズ対豊田合成トレフェルサ、第2試合は東レアローズ対FC東京の試合でした。
サントリーのホームゲームなので、第1試合が終わって会場を出た人も多かったようで、第2試合では空席がけっこう目立っていました。
FC東京は、当時の外国籍選手だったペピチ・ミラン選手がサントリー戦で負傷したためベンチアウト。この日は日本人選手だけで戦うという、なかなか苦しい状況でした。対戦相手は東レアローズでしたし(16/17シーズンは優勝した年で、めちゃくちゃ強かったんです)
ですが、3セット目からは徐々にFC東京ペースに。
3セット目を取って4セット目。忘れもしない9-9スコアのところ。
ラリーが続き、東レアローズのニコ選手のスパイクをワンタッチ取ったのですが、ボールはかなり遠くまで飛んでいきます。
エンドまで飛んで行ったボールを、和中選手(当時アウトサイドヒッター、後にJTマーヴェラスのコーチに)が繋ぎ、手原選手が何とかボールを上げるのですが、走り込んできた手塚選手(現:東レアローズ所属)が最後決め切ります。
この時、会場の空気がガラリと変わるのを感じました。
第1試合が終わって、第2試合はなんとなく観て、座っているだけのような人も周りにはいたんです。
だけどその人たちも、この瞬間はかなり盛り上がっていた。
たとえ苦しい状況でも、いま自分たちができることを全力でやる。目の前にあるボールを追いかける。
そういった白熱するプレーには敵味方関係なく心を動かされ、見る人は歓声を上げる。拍手をする。それによって会場の空気が変わる。
それを感じたのが、私にとっては物凄く面白くて。きっかけがFC東京で。
だから私は、FC東京を応援するようになり、今でも応援しています。
それと、この試合で印象に残っていたのが、オポジットの長友優磨選手。
この日は途中出場だったんですが、180cmというスパイカーとしては小柄ながらも、それを感じさせない跳躍力や走力、レフティーという長所を活かした攻撃力、あとディグも凄くて。
苦しい状況でも必死にボールを繋いでいく姿を見せてくれたFC東京というチーム、そして魅力的なプレーをする選手の存在が掛け算されたのも大きいんだろうなーと思います。
▼VTVのアーカイブもあるので見れる方は是非▼
そこから、私のバレーボール人生が大きく変わりました。
大阪・関西で試合があったら観に行くか、という所から、FC東京は次どこで試合するんだろう?などと考え始めて。東京ホームゲーム行かなきゃな。というか16/17シーズンのFC東京、かなり大苦戦していて、12月のレギュラーラウンドまで1勝も出来ていなくて。えっ、大丈夫なのかな?何とか初勝利を観たい…年明け広島、(当時JTに所属していた)越川選手がビーチバレーに転向!?というのもあって広島グリーンアリーナがほぼほぼ満席、FC東京ドのつくアウェーじゃん………アッ…あああフルセッ…フルセット…!?あああああ初勝利だあ~~~!?!?レギュラーラウンド8位だからチャレンジマッチか…残留か降格か…神奈川に行くしかない…あああぁあああ……残留おめでとおあああああ……
気づいたら日本全国あちこち行ってた
2017年以降、行けるところは行く!ってなってから、本当に日本全国いろんなところに行くようになりました。それまで家族旅行など以外で、大阪の外から出たことが無かったのに。一人でなんでもやるようになってしまいました。
Vリーグの試合だけじゃなくて、紅白戦とか、エキシビションマッチとか、公開練習とか、国体予選なども行きました。
個人的に今でも狂っている(?)と思うのが、2017年の6月。
群馬・高崎アリーナでワールドリーグがあって龍神NIPPONの試合を観に行くことを決めていたのですが、同時期に東京予選があるというので、1日目夜:群馬、2日目朝:東京・夕方:群馬、3日目大阪に帰宅…というスケジュールで行きました。
同じ関東だから東京も群馬も変わらんでしょう、と思っていたら、めーーーちゃくちゃ遠い。朝一、群馬を出発して、朝から昼まで東京予選を観て、予選突破を見届けてから夕方群馬に向かって、夜にワールドリーグを観て……ホテルで気絶しました。
RPGでいうHP0で戦闘不能って、こういうことを言うんだな!?っていうぐらいの倒れっぷりでした。
ちなみにこの2か月後、群馬で国体の関東予選があったため、再び群馬に行くことになります。2か月で群馬にこんなに行くことあるのか…?
こんな感じでしたが、FC東京が観たくて無我夢中でひたすら突っ走っていた頃、凄く楽しかったなあと思うばかりで。
もう一つ、2017年10月のえひめ国体。
東京代表として出場することになったFC東京を観たくて「よし!愛媛に行こう!」と思ったんですが、愛媛県で宿泊できるところが全く無かったんですね。
そりゃあ選手、スタッフ、関係者、それもたくさんの競技がいっぱい集まるわけで、泊まれるところはないと言えば当たり前なんですが…
大阪から愛媛を往復するのは無理、諦めるか、岡山とか広島に行くか…?まで考えていたんですが、バレーボール会場が八幡浜、大分行きのフェリーがあると知りまして。
「あ、じゃあフェリーに乗って大分のホテルに泊まれば良いか」となり(?)、前半2日は宿泊のためだけに大分に行くということをしました。
この出来事も、何ということをしているのでしょう…っていう感じだったんですが、FC東京を応援する!っていうことでなければ下さなかった決断だったと思うし、こんなことは人生でなかなか経験するもんじゃないだろうなと思いました。八幡浜の夕焼けは綺麗だということを一生知らないままだったかもしれません。
ちなみに2021年11月、大分での大分三好・FC東京の試合を観に行ったんですが、このえひめ国体での経験が無ければ多分行ってなかっただろうなーと思っています。これのおかげで、大分に行くハードルがめちゃくちゃ下がったというか。
つまり何が言いたいかというと、FC東京を応援したい!色んな試合が観たい!となった結果、今まで超絶インドアで内気だった自分がめちゃくちゃ変わって、ビックリするぐらいアクティブ人間になったということです。
ずっと見続けているからこそ分かることがある
そんな感じで、コロナ前まではFC東京の試合は出来る限り観に行くようになりました。
ずっと見続けていると、戦術にこういう変化があるんだなとか、○○選手は前の時よりここが凄く良くなっているとか、そういうのが分かってきました。最初はFC東京好き~、選手好き~というところから、次第にバレーボールの面白さを理解できるようになりました。
特に面白かったのは、2018/19シーズンにロディさんが監督だった時でしょうか。新しい取り組みをしていったのが良く分かったシーズンだったし、戦い方も大きく変化しているのが分かりました。
会見記事などを見ていて、スポーツにおけるリスペクトだったり、試合を楽しむとはどういうことか、みたいなことも色々言及されていて、いち観戦者として凄く為になることが多かったなと思います。
何だか、活動休止が発表された今、このコメントを見ると、凄く泣けてきますね。いかんいかん、泣いちゃいかん。
あと2018/19シーズンと言えば、Vリーグが新しく変わった年です。ホームゲーム制など、各チーム様々な取り組みをしていた印象があります。
その中でもFC東京は、サポーターやファンを巻き込むような取り組みを色々行っていたと思います。ホームゲームのイベントもそうだし、応援スタイルなども。
2018年11月、このはなでの試合前に、急に「手塚選手の顔が写ってる写真(できるだけ真正面)ください!」ってお知らせされた時には「?」ってなりました。試合当日になって「そういうことか!」となったんですけれど。
勝利後の東京ブギウギもそうだけど、試合中の応援チャントとかも、ファンやサポーターを巻き込む形式が良いよなーと思います。
自分の中でFC東京ホームゲームの集大成だと思うのが、2019年2月の大田での試合です。
前日の土曜日、JTサンダーズに勝利したのもかなり盛り上がったのですが(このシーズンのJTめちゃくちゃ強かったので)、日曜日のサントリー戦もこのファインレシーブを筆頭に、かなり盛り上がった試合だと思います。
それこそ、私が初めてFC東京を好きになった2016年11月の試合のように。
この試合は負けてしまったんですけど、勝ち負けとか関係なく、懸命にボールを追いかける姿だとか、ホームゲームを盛り上げるために選手から色んな働きかけがあったりとか、色んな要素が集まった結果なのかなと思っています。
2016年から今まで応援してきて、色んなことがありました。
初めて応援したシーズンは13連敗(だったか?)で初勝利が年明けになってからとか、ロディさん退団しちゃうの嫌だー!とか、長友選手が凄い大怪我をしてどうなってしまうの…とか、えぇあの選手もあの選手も引退、退団しちゃうのー!?とか。
嬉しいこともあれば悲しいこともあり、細かいところを上げればキリはないんですけど、色々あって「もうあの時ぐらいの衝撃的な出来事は…」と思っていたら、2021年12月の活動休止のお知らせでした。なん…だと……
外国人選手2人も入って、古賀太一郎選手も入って、今シーズンは本気だ!?と思っていてウキウキワクワクしていただけに、最初はただただ茫然としていました。コメダ珈琲でトースト頼んでいたけど味がしなかったな…その時は太一郎選手も負傷のニュースも相まって……
ですがその後FC東京は、SNSで色々な発信をしたり、コロナの制限がある中でもホームゲームを盛り上げるためにはどうすれば良いか考えながら色々な取り組みをしています。
たとえ苦しい状況でも、いま自分たちができることを全力でやる。
目の前にあるボールを追いかける。
そういった白熱するプレーには敵味方関係なく心を動かされ、見る人は歓声を上げる。拍手をする。それによって会場の空気が変わる。
というのを感じたのが、この間の2月の大分三好との試合だったかなと思います。
でもそれは多分、試合だけでなく、きっと色んなところで作用してくるのかなと思っています。(そうであって欲しい。)
結局なにを伝えたかったのかよく分からなくなりました。けっこう情報量をそぎ落としたつもりだったんですが、予想以上に長文になりました。
本当に全文書こうとしたら。10000文字ぐらい余裕で超えそうなギットギトの文章になるところだった…
一番に伝えたかったのは、FC東京バレーボールチームがあったから、バレーボールを観るのが楽しくなって、私の人生に潤いが出ました、ということです。
というよりFC東京が無かったら、バレーボールを観続けていなかったかもなあ、と思っています。私の性格的に、好きの軸がしっかりないと長続きしないので。
選手を知って、FC東京を知って、そこからバレーボールを少しずつ知って、自分の中で好きの軸がしっかりと出来上がったんですよね。
あとFC東京を好きっていうことで、接点を持った人は凄く増えたと思います。そうじゃなかったら、その人たちとも接点を持たずに、一生出会うこともなかったのだろうと。if世界の私は、今どんな人生を歩んでいるんでしょう。楽しいですか?
スポーツを楽しむということは、単純にその競技を楽しむだけでなく、人の出会いや様々な経験を経て、人生に奥行きや広がりを与えてくれるものなのではないかと感じています。少なくとも、私はそんな人間です。
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