おばちゃんの階段のぼる
いつからか「おばちゃん」というワードを飲み込んでいる自分がいる。
20代前半で出産し現在34歳。
今の子は「○○ちゃんのお母さん」だとか「○○くんのママ」ってかわいく読んでくれるからありがたいけど、私がこどものころなんてどこの親も「おばちゃん」で統一呼びだった。
明らかに自分のおかんは「おばちゃん」が似合っていた。
だけど周りを見れば若いきれいなママさんも当然いたのにもかかわらず
オール「おばちゃん」だった。
なんて失礼なんだ。平成生まれのこどもったら。
それなのにいつもニコニコ笑っておいしそうなおやつをくれてたなぁ。
最近は自分より年下のママさんも増えたし、40代でもすごくきれいなママさんたちも多い。なんならおばあちゃんとかも若くてきれいな人が多くてキラキラしている。
自分はというと、そのキラキラしたマダムたちに比べりゃ確実に
「おばちゃん」が似合ってきた。
まだ、数年前までは「おばちゃん」ワードにぴくっと拒否反応があったのもの最近はスムーズに飲み込めるような感覚に来ている。
それは、「おばちゃん」特有の恥じらいのなさとか図々しさみたいなものもなんとなく理解できるし、気づかないうちに私からも臭っているのでは?と感じるからである。
例えばそれは、買い物に行く際の手提げバックの中身からもうかがえる。
無駄に入っているポケットティッシュよ。
しゃべりすぎて喉がからからになった時の為の飴ちゃんインよ。
ポイント5倍&割引レシートがわしゃわしゃ入った財布よ。
ママ友?の会話にも変化が見られる。
以前は子どものかわいい話やメイクの話題、おしゃれなケーキの話や旅行の話題で花が咲いていたっけか。
今やプライベートの恥ずかしいエピソードや日常のあるある話で大笑い。
真剣にお金や保険の話をしていることもある。姑やダメ夫の悪口で盛り上がる場面も愉快だ。恥じらいという上着を脱ぎ棄てたようだ。
そのうち、知らない人にも恥じらいなく親しげに話しかけたりする日もそう遠くないのかもしれない。
こうしておばちゃんの階段をのぼっていくのだ。