偉大なる母は友
先日二年ぶり?に高校の時の友達と遊んだ。
お互いママになって、仕事もしていると時間がなかなか合わず
二年も歳をとっていたのだった。
しかし、二年ぶりとは思わないくらいいつも通り。高校時代のままでほっとする。
本当ならおしゃれなカフェでまったりと話したいのだが、
小さな子ども連れの私たちにそんな心の余裕はない。
友達が、「うちにくる?」と言ってくれたので子どもたちはそれぞれ自由に遊ばせながら私たちは高校時代の続きのおしゃべりを楽しむのであった。
子どもたちの遊んでいる姿をみながらおしゃべりに花を咲かせるのは楽しい。にぎやかであるが、子どもたちの笑い声がまた私たち母親の日常なのである。
友達は閑静な住宅地に家を建てて5年ほどになるだろうか。最初にお邪魔した時よりもずいぶん空き地がうまり、おしゃれな家が立ち並んでいた。
「近所の子どもたちが遊びに毎日くるのよ。」と疲れ気味の顔で彼女は言った。そういえば、私が来た時から黙ってゲームをしている男の子がいた。
私が来たことに驚きもせず、いつも通りにくつろいでいる様子であった。
彼女が家を建てたときから住宅地でのご近所付き合いのあれこれ話を聞いていたし、以前確か二年前にお邪魔した際にもたしかあの子はいた。
彼女は子どもが大好きで保育士になりたいと言っていたこともあったので、子どもとふれあうのはいつも楽しそうだった。子どもが喜ぶことはいつでもはりきっていて母親の鏡のような存在。毎日愛情たっぷりの手料理をふるまい、早朝から栄養満点のお弁当を作るのだ。
しかし、そんな立派なお母さんの彼女も最近は仕事で夜勤などもすることになり明らかに疲れ果てている。私は彼女の体調を気遣い、話を聞いた。
話を聞いて、まぁびっくり。この男の子だけではない。その上の姉たちやその他の近所の子どもたちもこの家に入り浸っているのだそうだ。しかも、土日・平日関係なく日常的に平気で上がり込んでくるらしい。
居座るだけではない。私がその日持って行ったお菓子はほとんどその子が食べてしまったそうだ。普段から当たり前の様だ。
考えただけでカオスである。私なら耐えられない。彼女の心の寛大さに一瞬固まった。
そして驚いている私に彼女は「まぁ、うちも時々お邪魔させてもらうこともあるし、お互い様だから」というのだ。
私は心の中でこれは納得できない案件だな。と思いながら、彼女の身体や精神面を気遣う言葉しかかけられず家に帰ったのだった。
数日後、私は絵本作家 のぶみ先生のYouTubeを見ていた。
のぶみ先生は子どもの体内記憶について熱心に調べたくさんの絵本をこの世に生み出している。わたしも、体内記憶についてはとても興味があったのでいくつかYouTubeを見て楽しんでいた。
その時に、生まれてくるときに赤ちゃんはママを選ぶという話だった。
どうやらお空から色んな女性を観察し、ママを決めているのだと。
しかし、人気のママにはみんなが集中してあのママがいい!と行列になるのだけれど、並んだからといってすべての赤ちゃんがそのママの元にいくことはできないのだ。
そこで、そのような赤ちゃんはそのママがいるご近所に産まれてくるようになっているのだとか。
この話を聞いたときにすぐに友達の顔が思い浮かんだ。
彼女は確かにママとしてすごく頑張っている。理想のママなのだ。
人気者のママになる理由はそろっている。
私がお空にいる赤ちゃんならあんな優しくて元気でおもしろいママの元に行きたいとなる。迷いなく行列に並ぶであろう。
友達にすぐ連絡をした。話を聞くと友達は大笑い。
「その話、おもしろいねぇ」と言って喜んでくれた。
最初はカオスな現場にとても信じられない。と思っていたが、のぶみ先生の話を聞いて納得できた。なんだかほっこりした。
これからも、多くの子どもたちを見守っていく偉大な母を応援したいと思った。
子どもたちが大きくなって、年老いた彼女にたくさんの孫を連れて遊びに来る日も来るのだろう。