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べにばなつむぎ

以前に着物屋さんでバイトしていたことがあって、そこで初めて紅花紬を見た。催事用に数反だけ白い箱に入ってきたそれは、まばゆい光を放ち、他の商品とはまったく違う存在感を持っていた。
シルクのつやめく光沢。やわらかなピンク色。発光するような輝き。
紅花で糸を染められて、丁寧に織られて、人の手で慈しんでつくられたことがその反物からは感じられた。
あまりにまぶしくて、見ているとなんだかドキドキして、わたしはちょっとの間しか眺めていることができなかった。
なんてきれい。なんて美しい。なんてすばらしい。なんてすごい。
草木で染めるということはこういうことかと、胸を打ち震わせて、その圧倒的なエネルギーを感じていた。圧倒されて、幸福で、いままで自分に開かれていなかった秘密を垣間見たようで、自分の内側の世界に新しい地平が現れたような、ひどく自分の芯に響く衝撃を受けたのだった。

あれからずいぶん経って、わたしはいま座繰りと染織を習っている。自分で繭から糸を挽き、草木で染めて織っている。あの時の紅花紬との出会いが、わたしをここまで連れてきた。

その反物は、いま、わたしの手元にある。

洋服にリメイクされて、かわいらしいトップスに形を変えて、わたしのところに戻ってきてくれた。

展示会の告知でそのトップスの写真を見たとき、わたしはあの時の反物だ、と思った。あの時お店で見た反物のひとつだ、と。

二十年近く前の反物がどこをどうめぐってここにやってきたかなんて誰にもわからない。リメイクしたデザイナーさんでさえ知らないだろう。だから、このトップスがあの時の反物だとは言い切れない。けれど、あの時の反物じゃないとも言い切れはしないのだ。

はたしてそのトップスは展示会初日を誰にも試着さえされずに、二日目に訪れたわたしを待っていた。
わたしは涙が出そうだった。
布地に触って試着して、わたしはますます確信した。
もうこれは、あの時の反物に違いない。
事実はどうであれ、わたしにとってはそうなのだ、と。

人の手で丹念につくられた布には、縁ある者に渡り、戻るということがあるのだろうと思う。そして、それを手にするタイミングも決められているのだ。

紅花紬の反物に自分の存在ごと揺さぶられてから、あこがれてはいても飛びこむことのできなかった染織の世界に、ようやく足を踏み入れて、初めの一枚を織り上げたあとに紅花紬のトップスはやってきた。
わたしにとっての、ちいさな奇跡。

あの日目にした反物の神々しさに、少しでも届くようにと、わたしは織っている。
祈るように織っている。
あの日の自分に応えていくために。

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