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お姫様と召使い (PRINCESS & SERVANTS) (#015)

私は絵を教えるときに、「あなたの絵のプリンセスはどこですか?」と聞く。プリンセスとは「フォーカル・ポイント」のことで、一番見てほしい中心となる部分だ。プリンセス以外の部分は「召使い」とあえて言っている。召使いがいないと、プリンセスは近所の女の子でしかない。絵の魅力がうすまる。

プリンセスは、
* 明暗が強い
* 色の彩度が高い
* 輪郭がはっきり

召使いはその反対、全体的にぼやっとしている。

一枚の絵に奥行きを出したい時にこの二つを入れると効果的だ。

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さて、私にとってプリンセスと言うと思い浮かべる人がいる。ダイアナではない。

むっちゃんだ。

今回は、むっちゃんに関する私の記憶のコラージュを言葉で綴ろうと思う。彼女とはFBで繋がっているので、きっとワクワクしながら・移住したアメリカで・この文章を読んでいるはずだ。

むっちゃんは召使いを従えるようなブリブリ・プリンセスではない。バレエを習った姿勢の良さ・西洋人とのハーフみたいなスッとした顔立ち・「たたずまい」に品と花があるお姫様だった。もし、中学の時に私に絵心があったら、むっちゃんを何枚も描いていたと思う。ブロマイド的に学校中で絵が売れて・私はちょっとした金持ちだ。😎

そんなむっちゃんも、口を開くと一変する・気さくで、冗談が好きで、美意識が高く好みがはっきりしてセンスが良く・それは私服や持っているものに現れていた。プリンセスというよりも、ボーイッシュなクールさが出た。そこがむっちゃんの魅力だった。たぶん本人もよくわかっていなかった部分かもしれないが、見た目の美しさと内面の美しさに微妙にズレがある。それが、私の感性にビンビンに響いて魅力的だった。当時は今みたいに上手く言語化できないから。とにかく「観て」いた。この不思議な魅力はなんだろう・・・。今まで見たことのない不思議な形をした魅力的な花を見ているようだった。人間とは乖離(かいり)していた。


私が最初にむっちゃんの存在に気づいた場面にさかのぼってみよう。シキナ小学校の時だ。生徒数が多くて、小学2年か3年の時に分校するのだが、そのとき運動場で並んで歩いている普通の子供達の中に普通でないプリンセスむっちゃんがいた。ポニーテールで、背筋がよくて、「あのお人形さんみたいな子は別の学校に行っちゃうんだ」と思った。

それから時は流れ、中学1年でむっちゃんと再会する、しかも同じクラスになった。

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「さぁ・どれからいく?」トランプのように5枚のカードを広げる。

キッスは目にして
ロング・ロング・アゴー
あってはならない光景
不釣り合いな彼氏
「ちょうだい」市民権

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今は小学校から英語を学ぶが、うちらの頃は中学からだった。センスのある私やむっちゃんにとっては、英語は大事だ。違う世界へ連れてってくれる入り口。とはいえ、単語を覚えるのはなかなか大変。Wednesdayなんでdが入るのに発音しねえんだ。「うぇどねすでい」と覚えないとスペリングでバツになる。そうっやていろんな工夫をして覚えた。ある時期、私とむっちゃんはバスで時間かけていく場所にある英語塾エリオに通うことになる。はっきりと覚えている。見た目プリンセスむっちゃんが、教科書にある一文を取り上げて「long long ago」と言いながら、その細い顎を細い指でつまみ出しアゴを長く伸ばすパントマイム。私がやっても受けないようなジョークも、お姫様顔のむっちゃんがすると効果的面・みんな笑いのツボにハマった。人気者のむっちゃん。

そんな人気者・お姫様むっちゃんが叩かれた。顔を平手打ちされるのを見た。私は深く・ふかく傷ついた。

うちらが成長期を過ごした昭和と現代では変わってしまった常識や価値観はけっこうある。そういう視点のテレビドラマも作られたりする。私は日本でバブルがはじけた頃にシドニーに移ってその後ほとんど帰国することもないので、箱の外から中を覗いているような気持ちで日本を見る。箱の中と外にも・昭和と令和にも、そりぁ・良いものも悪いものもあるさ。

しかし、絶対にあってはならない光景が昭和の箱のなかのさらに小さな箱の中にあった。

本当にどうでもいいことだった。だから理由はろくに覚えていない。中1の担任はメガネかけたネズミ男みたいなやつで・品性は生まれた時から持ち合わせていないんじゃないかと思えた。クラス全員いる前にむっちゃんを含めた数名を呼び出して、一人一人平手打ちしたのだ。軍隊かここは。記憶が曖昧なので、理由がなんだったのかもし覚えていたらむっちゃんに捕捉してほしい。私も叩かれたんだっけかな。暴力の記憶は自分が受けた肉体的痛みは消えるが、視覚からくる心の痛みはずっと続く。叩かれた真っ赤な頬を片手で押さえているむっちゃん。この世界にこんなことがあっていいのか・こんな光景があっていいのか。世の中間違っている!

<席を立って台所へ行き・時間かけて紅茶を入れる・素敵なカップに入れて一口すする>

お姫様むっちゃんが君臨する素敵な王国に入るためには、そこで市民権を得て平和に過ごすためには、マスターしておかないといけないことがある。それは「ちょうだい」だ。

教室でむっちゃんは私の後ろの席に座っていた。前から来たプリント受け取り、振り返ってプリントの束を渡しながら「これ、回して」と私は言った。
即座にむっちゃんが言う。「これ、回して・<ちょうだい>」って言うんだよ。「ちょうだい」を強調した。私は一瞬何のことか分からず・ぽかんとした。人にお願いする時に最後に「ちょうだい」をつけるか付けないかで、人の気持ちに与える印象が大きく変わることにむっちゃんは敏感だった。私にはなかったセンシティビティ。この「ちょうだい」が簡単なようで実に難しかった。私は何度も「ちょうだい」をつけ忘れて、むっちゃんに注意されることになる。

なんであんな簡単なことが私にはできなかったのだろう。今思うと「ちょうだい」は私にとって語呂が悪かった・リズムが違った。むっちゃんの王国で常識となっているセンシティビティとリズム感が私にはなかったのだ。それゆえに、私は「ちょうだい」のないリズム感で自国をシドニーに作ることになり、むっちゃんはワルツのリズムでくるくる舞いながら「ちょうだい」を引き連れてアメリカへ渡り・プリンセス王国を築いているわけだ。

むっちゃん、たぶんあなたにとっては些細なことで・覚えてないだろうけど、「ちょうだい」の件ではお手数おかけました。 どうぞ許してちょうだい。テヘぺロ。(覚えたばかりのテヘペロ使えた😋)


えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック


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