木の器

先日、無印良品でポイントが無くなるから使ってと母親から言われ、700ポイントを握りしめ売り場に向かった。ものすごい考えた末に選んだのはアカシアのプレート。そういえば、木のお皿が家には無いなと思ったためだ。家に持ち帰り、翌朝からはトーストしたパンを載せる重役を負う訳だが、木のお皿は陶器やガラスやプラスチックからできた皿と比較するとデリケートで、汚れたらすぐに汚れを洗い流し取らないと汚れがしみ込んでしまう。いつも食後に皿洗いはするが、いつも以上に汚れをすぐ落とさないとと感じ、食べ終わった後にはすぐに皿洗いをする。陶器の食器であれば疲れた体をなんとか振り絞って夜中に使ったものの、皿洗いまでの気力は無く少し水につけたまま一晩そのまま過ごすなんてことをやったこともあるが、木のお皿ではそんなことは決してできない。少し不便と言えばそうだが、皿洗いという当たり前のことをしっかりせよと、きちんとした生活が送れる気がする。

この前、アイスティーをテイクアウトした際、買って2時間後くらいに飲もうと思ってストローを口に当てると、感じたことのない感触。何事だと思ってみると、ストローが紙から出来ていた。紙は水に弱い。当たり前のことで、少し不便かなとは感じた。

しかし、汚れたまま置いておいてもなんら変化しないプラスチックの器、ガラス、陶器や、水分にいくら接しても変化しないプラスチックのストローは少し怖い気がするなと。この世の中のもの大半が当たり前のように普通は朽ちていくはずなのに、プラスチックのストローはずっと残り続ける。人間には忘却の能力があるのに、データを半永久的に記録し続けられる記録媒体。私は感じたことや思いついたことをどんどん忘れていくから忘備録としてnoteで文章として残そうとしてる。桜はこの時期にしか綺麗なあんな色を見せないのに、造花は変化することなく一年中綺麗に咲いたまま。全然腐らない某製パン会社の食パン。どんどん思考が拡散してしまう。以上としよう

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