隠退までの道程 50/237 時間の使い方
午前中、また幼稚は夫妻にやられた。感情が高ぶるとミスしがちになるので、落ち着いて、おちついて。仕方がない、仕方がない、といつもの呪文をとなえるのだ。
今朝、毎週1回の競書の半紙を書いていた。出勤前30分くらいしか時間がとれないから、もちろん墨汁で書く。書き終われば、大急ぎで洗って、筆を干して、出勤する。
筆を洗っている最中にふと考えた。
古の文人達は、まず墨をすり、書き、筆を川から汲んできた水とかで洗う(水道がないからね)んだろう。伝達方法が紙に筆で書くことが一般的だっただろうから、案件一つ完成させるのに、半日はかかるのではと妄想した。
まあ、当たり前に何をするにも時間はかかる。朝起きて食事する、作業、昼休憩、作業、夜ごはん(多分、昔は2食と思われる)。電気、ガス、水道が無いのだから、この一連の作業を全て自らの手や足を動かしながらやるわけだ。一日はあっという間に過ぎて、そんなに複雑な事を考える暇もなく、一生も終わっていたように思う。
今も、ポツンと一軒家の人たちは、こんな暮らしに近いことをしているのかもしれないが…
人間は群れて生きる性質があるようだから、自分だけがその生活をしていても、結局、物理的よりも精神的に破綻するのかもな。
一日があっという間に過ぎるのがよいのか、よくないのか。
ライフステージの影響もあるし、中身の内容とバランスなのかな。
天高く秋晴れの日、たまに、無為に過ごしたくなる。
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