「安定」について
安定
私にとって「安定」は
人生のテーマな気がする
それにちゃんと気づけたのは
大学生のころだった
他人とは、より異なる感覚で
求めていたことのように感じた。
とても慎重で
周りの変化やささいな動きに対して
敏感な子ども時代だった
思春期のころは
安定=穏やかさ・安心さ・不動
と思っていた
移ろいやすい自分の心を
とても恥じていた思春期。
懐かしい
環境への不満も、
人からの視線も、
全ては自分の感覚だから
自分自身がもっともっと「安定」したいと求めていた
今の感覚でいえば、「自分軸」を堅固にしたいと願っていた
そのおかげというか何というか・・・
真実・真理を求めるために
哲学や神秘主義にはまっていき
私の頭の許容量の範囲内で貪った。
そして同時に起こしていたことは、
感情の解放と表現方法の模索。
大学時代に出会った
”absolute”---絶対の・解かれた
は、とても求めていたものだった
私はそれを説いていた人に出会い
テンションがあがった⤴
最近は、こねこね考えていることが
億劫になってしまったので
現段階で私が表現できる「安定」とは
「素直」な感覚で日々を営んでいること
と思う。