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僕と“シン・”の思い出 ゴジラ編


 『シン・ゴジラ』が公開されてから、今日でちょうど8年になるらしい。月日が経つのは早いモンで、当時中学生だった僕もすっかり成人してしまった。あのときはまさか、庵野秀明がゴジラだけじゃなくウルトラマンも仮面ライダーも撮るなんて思ってもみなかったっけ。

 ちょっと、当時の自分の気持ちを思い出して書いてみようかと思う。ネタがないからね。


『シン・ゴジラ』の思い出


 「庵野秀明がゴジラの新作映画を撮る」と発表されたとき、ネット民たちは口を揃えて「その前にまず『エヴァ』を終わらせろ」とヤジを飛ばしていたのをおぼえている。

 その様を見て、僕は「お前らみたいな連中が庵野さんを苦しめるから『エヴァ』が完結しねーんだろ」と思っていた。庵野さんがそれまでどんな大変な思いをして『エヴァ』を作り続けていたかを考えたら、とても「逃げてんじゃねーよ」なんて言えないだろう。自殺未遂したことあんのかテメーらはよ。

 クリエイターに限らず、ずーっとおんなじことばっかやってたら気が滅入ってくるだろう。庵野さんも息抜きになんか別の仕事でデトックスできれば巡り巡って『エヴァ』の完結にも近づくんじゃないか。そう思っていた。


 すでに『エヴァ』のファンだった僕は庵野・樋口コンビのゴジラ新作には期待しかしていなかった。しかし当時の庵野さんはあくまで“アニメの人”という印象が強く、実写映画の分野ではクセの強い作品(『式日』とか『キューティーハニー』とか)を連発していたので、「庵野に実写映画撮らせて大丈夫なん?」と心配する声もよく聞かれた。「ヘンな映画になるんじゃないのか?」と。

 当時は国産のゴジラシリーズは10年以上も新作が途絶えており(ハリウッドで一本やってたぐらい)、しかも直近の『ゴジラ FINAL WARS』がまぁまぁアレだったので「コレがコケたらいよいよマジでヤバい」という危機感もあったのだろう。



 それからしばらくして、正式なタイトルとメインキャスト(長谷川博己・石原さとみ・高良健吾の3名)が発表されると、その異質さはますます際立った。

 まず、タイトルの意味がわからない。

「シンって、なに???」

 新とか真とか神とか、いろいろな意味に引っ掛けてあったのだろうが、とにかく強烈な庵野味にあてられてクラクラしたのは覚えている。

 いや、より正確に言うなら庵野味というより『エヴァ』味だ。なんせ、当時すでに『エヴァ』シリーズ完結編のタイトルが『シン・エヴァンゲリオン』であることが判明しているなかでのコレなんだからそりゃ戸惑うだろう。シリーズの私物化と捉えられてもおかしくない。

 なんかさ、こう、あるじゃん。カタカナで書くとエヴァっぽくなるみたいな。“ヒト”とか、“モノ”とか、“セカイ”とか。そういうアレを感じた。実際のところ誰が提案したのか知らないが、いかにも庵野さんの手癖ってカンジのタイトルだと思った。


 それとあとアレだ、メインキャストだ。主演が長谷川博己ってのがまずビックリだった。今でこそ大河ドラマで主役やったりしているが、当時のハセヒロはまだクセの強いバイプレイヤーの印象が強く、大作映画の主役としてゴジラと対決するようなタイプには見えなかった。

 なんせ、当時の僕にとって直近のハセヒロといえば『MOZU』の東とか実写版『進撃の巨人』のシキシマ隊長とかだったのだ。あと『地獄でなぜ悪い』とか。やたらと芝居掛かった口調で周囲を翻弄したり、躊躇せずに人を殺したりするようなタイプ。「きゃははははは、チャオ〜!」みたいな。だいぶ東に持ってかれてるな。


 なので、


「え? ハセヒロが出てきてなにすんの?」


というのが正直な印象であった。

 そんなハセヒロがまさか若手エリート官僚の役とはね。髭も剃って七三分けでずいぶんサッパリしていた。もともと芸達者な役者さんだったんだろうけど、僕のように俳優にあまり詳しくない人の中には本作がきっかけで「ハセヒロってこういう役もやれるんだ」と気付かされた人も多かったと思う。

 これ以降、ハセヒロが刑事とかサラリーマンみたいなパリッとした役を演じることが増えたのって、割とマジで『シン・ゴジラ』がきっかけなんじゃなかろうか。


 あと、さっきちょろっと実写版『進撃の巨人』の名前が出てきたのでそっちの話もしときたいな。


 『シン・ゴジラ』のキャスト・スタッフの面子が発表されたとき、直前に公開された実写『進撃』とのあまりのバッティングぶりに

「『進撃』ってゴジラのついで撮りで作ったん?」

などと失礼なことを考えていた(撮影時期から考えてたぶんないと思うけど)。

 でもしょうがないよ、だってめちゃくちゃカブってたんだもん。監督が樋口真嗣で、音楽が鷺巣詩郎で、長谷川博己も石原さとみも松尾諭も國村隼もピエール瀧も三浦貴大もいるんだよ? カブりすぎだって。

 ついで撮りってことはないにせよ、石原さとみのインタビューによると彼女が『シン・ゴジラ』のことを知ったのは『進撃』の打ち上げの席だったらしいので、バーター的な部分はあったんだろうな、きっと。



 あと、『シン・ゴジラ』といえば宣伝の話もしとかなきゃ。

本作はとにかく事前情報を出し渋っていた。


 まず最初に出た“特報”がコレ。1分にも満たないうえにメインキャストもゴジラもいっさい映さない。当時は「まさか全編この調子で『クローバーフィールド』みたいにするのか?」なんて予想する人もいた。

当時のチラシ・その1。裏面には出演者の名前がビッシリ書いてある。普通こういう書き方はしないだろう。
当時のチラシ・その2。裏表合わせて写真が2枚とキャッチコピーとセリフのみ。

 普通は邦画のチラシってもっとあらすじとかいろいろ説明するモンだと思っていたのだが、本作は余計な情報をいっさい入れていない。あまりにもシンプル。

 そうやって焦らしたうえで公開された本予告でも、矢継ぎ早にいろいろな映像が出てくるがセリフはいっさいなく、それぞれの映像がどういうシーンなのかはわかりそうでわからない。

 この、とにかく情報を小出しにして期待感を煽る庵野メソッドに中2の僕はまんまとやられてしまったのだ。ほら、中学生って人生の中でいちばん“ダサい”のが我慢ならない時期じゃないですか。ちょうど「邦画の予告ってダサいよね」と思っていた僕に庵野メソッドがもう刺さりまくり。なんてスマートなんだろう! 

 そして、僕はその後の『シン・エヴァンゲリオン』『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』でもこの庵野予告メソッドに振り回されることになるわけでした。その話はまたいずれ。


 そしてそしてそして。


 いよいよむかえた2016年7月29日。

 僕は新宿のバルト9で公開初日に本作を観た。


 今さら多くは語らないが、そりゃもうすごかった。人格形成レベルでいてこまされた。

 これはとんでもない映画が出てきちゃったぞ! エンドロールが終わり明かりがついたとき、満員の客席は拍手で揺れていた。


 これはもう、長らく雌伏の時を過ごした怪獣映画がいよいよ復権するかもしれない。

幻想ユメ”じゃねえよな・・・⁉︎

還って来る・・・

オレ達の“黄金時代オウゴン”が還って来る‼︎


 そんな期待を粉々に打ち砕いたのが皆さんご存知『君の名は。』であった。

 夏休みが明けて登校してみたら、『シン・ゴジラ』を観に行っていたのは学年で俺ひとりだった。

 あれだけすごい作品が公開されたのに、観客も評論家も大絶賛で、興行収入もシリーズの記録を塗り替えて、著名人がいっちょ噛みコメントしまくってて、ジャンルファンのみならず社会学・政治学の専門家をも巻き込んだブームになっていたのに。

 結局、僕の周りでは誰も見向きもしていなかったのだ。怪獣映画に対する世間の“ナメ”はまったく払拭されていなかったのだ。

 いや、ほんとは他にも『シン・ゴジラ』を観に行った同級生はいたのかもしれない。だが、無力だった当時の僕には隠れ潜んでいる仲間を探す方法がなかった。視野が狭い中学生にとって、学校というのは社会の全てに等しい。僕は、自分の好きな、自分の信じているモノを世界から否定されたような気がして悔し涙を流していた。比喩とかじゃなくてホントに泣いていた。

 Twitterを覗けば、連日アツいコメントやファンアートが大量に流れてくる。だが、そんなものはしょせん液晶の向こう側の、虚ろな世界にしか存在しないのだ。僕の社会では『シン・ゴジラ』は社会現象になっていなかった。


 そして、これは『シン・ゴジラ』とは直接関係はないが当時の僕を追い詰めた出来事がもうひとつ。

 その年の冬に僕たちは修学旅行で関西に行った。で、移動中のバスの中で生徒が持ってきたCDを流してもよい、ということになった。

 もうおわかりだろう。

 僕が持ってきたCD(J-POPのヒット曲のコンピ)はいっさい流れることなく、RADWIMPSが歌う『君の名は。』のサントラ(と、あとなぜか『アナ雪』)だけが延々とヘビロテし続けていた。すぐにでもバスから飛び降りて叫びだしたい気分だったが、僕はただ黙って縮こまっていた。


 ああ、『君の名は。』よ。お前は、俺からどれだけのものを奪えば気が済むんだ。


 そうして僕は、新海誠とRADWIMPSを一生許さないと誓った。思えば、『Mステ』でRADWIMPSが「いま10代の若者に大人気」と紹介されていたときから気に入らなかったのだ。俺は10代だけどそんなやつら知らんぞ、と。10代の若者ならみんなRADWIMPS好きでしょ、という“決めつけ”が鼻についてしょうがなかった。


 その後、『君の名は。』は知り合いに誘われてレンタルで観た。面白かった。感動した。名作だと思った。それで余計嫌いになった。



 結局、怪獣の時代が再び訪れることはなかった。劇場では相変わらずアニメと、キラキラ青春映画と、人気漫画の実写化作品が人気を集めている。

 ならば『シン・ゴジラ』の闘いは無駄だったのかと言えば、僕はそうは思っていない。あの作品がきっかけで間違いなく怪獣映画の裾野は広がった。『ゴジラ−1.0』がアカデミー視覚効果賞を受賞したことで、僕の中にあった怨念はいくらか成仏した。

 それに、大人になったことで僕の世界も広がった。ネットでもリアルでもそれなりに仲間ができて、もうクラスメイトからの賞賛も承認も必要なくなった。

 だから大丈夫、心配しなくてもいいんだと、中学生のころの僕に伝えてやりたい。



 本当はこの記事1本で『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』についてまとめて振り返るつもりだったが、存外長くなったので分割したいと思う。ウルトラとライダーについても近いうちに書きたい。

 あと、『シン・ゴジラ』の真のメインヒロインこと尾頭ヒロミさんについてもそのうちちゃんと書きたい。

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