無限遠点
まだだ。
まだ浮上してはならない。
ここは漆黒と圧迫の闇。私はどこまでも沈む。遠く彼方の記憶で光を見たこともあった気がするが、光などというものが本当にあったのだろうか。それは闇がもたらした幻覚に過ぎないのかもしれない。そんな記憶など、はなからなかったのかもしれない。私?私とはなんだ。私はこの闇そのものではないのか。ここには闇しかない。
時折…と言ってもそもそも時の感覚が掴めないのだが、記憶の糸が不意にツ、ツ…、と接続し幻影が彗星の如く過ぎって行くことがある。過りゆく気配だけを察知してその姿はいずれも判然としない。印象だけをぼんやりと残してすぐに消える。私はそれが去ったのちに感覚を立ち上げ、闇にすっかり溶け込んでいる自分をなんとか取り纏める。もう少しで私を見失うところだった、と毎回反省してはすぐにまた闇に埋没する。
私はかつて人間だった。
地上に生まれ、誰かを愛した。重力のある世界で体を得、光の下で感情を生きた。
その、記憶。
その、印象。
それだけがこの闇のなかで時折与えられる私の餌だ。
硬く圧し潰すような闇のなかで唯一私を目覚めさせる記憶。感覚を手放してしまいたいのに、それがあるから手放せない。
記憶は期待に。
甘い、ということ。優しい、ということ。ここにはない筈のそれらが私を正気に引き戻す。
餌を与えられたあとは暫くのあいだ殊更にしんどい。
サッと一瞬、感覚を甘やかさが過ぎる。
私は目覚める。
虚無のなかの甘露を永遠に引き留めようと感覚そのものになる。愛しい。ああ、これが愛しい。そうだった。そうだった。これは私のものだ。
そして私は何処へともなく消えた糸の行方を、闇の中全方位に向かい探してしまう。
出口はどこか。
光はどこか。
そんなものありはしないのに。徒労だ。不毛だ。
否、期待に通ずる記憶が餌として与えられるということは可能性としてそれがある、ということなのではないか?
沈黙。闇はどこまでも闇だ。またしても浅ましく期待をしてしまった。
そして私は再び闇に溶けてゆく。
期待することもそのうちなくなるだろう。
私は完全な闇になるだろう。
すべてが無に帰するだろう。
ツ……
ツツ……
ココ…ニ
ココニ……イル…
ココニ イルヨ……
キコエル カイ
カンジル カイ
ソロソロ ダ ソロソロ ダヨ
ボクラノ ムゲンエンテン
ジュンビ ハ イイカイ
ヨク ミテ
ヨク キイテ
「起きて」
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