うかれ気分に満たされる季節病は愛の呼び水
ゴールデンウィークの日曜日、晴れて外からの風が心地良い日。
このように気持ちの良い季節には愛するということがわけないことのように思われます。
ほどよく澄んで温やかな空気に包まれるとあちらに聳える欅の木、目の高さに咲き誇るツツジの植え込み、すっかり葉の色を濃くして繁った桜の木…目に入る彼ら(わたしには木々は「それら」ではなく「彼ら」と呼びたいものをいつも感じるのです)が語りかけてくるように思えます。
これはふとした時からはじまった空想に過ぎないものですが、心の中で彼らとの応答をはじめると世界はほどなくわたしに対して心を開き、わたしもまた住んでいるマンションや周囲の植え込み、エレベーター、家の玄関ドアに至るまで色々なものとの交歓をはじめるのです。
五月特有の季節病なのかもしれない。
でもそれはとても心地よく、楽しく、わたし自身も容易に世界を愛することの出来る季節なので待ち望む病のひとつなのです。
昨年はじめてこの病に罹れない自分を経験しました。一年で一番美しい時期だと言うのに、砂を噛んで胸の奥に鉛の塊が常にあるような、それは色のない、香りのない沈んだ世界でした。
今年、コロナの騒ぎで色んな物事のひっくり返りが頻出するなか密かに心配していたのは、この美しい季節を今年も味わえないのかもしれない、ということでした。
ですが良かった。大丈夫でした。
この2、3日前に皆さんも感じたでしょう?
良い季節が来たな、と。
多分わたしも世の中の皆さんと同じタイミングでこの心地よさ、空気の甘やかさに気づけたのです。
自分の感覚を取り戻すというのは大切なことですね。そしてその感覚をおおいに魅了しようとする自然からの誘いに感応することが出来るということも。生きる喜び、という感じがします。
木々がわたしに語りかけるようになればわたしは安心感を取り戻します。世界にジェントルさが戻ってきて、わたし自身もそうであろう、と思うことが出来ます。
こころが空気のなかに溶けだしてどこまでも拡がってゆくような。
目を閉じて想ったところへわけなく飛んでいけるような。
風が強くなってきました。
欅並木も愉しげにユサユサと揺れています。
どうぞ引き続き良い五月を。
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