その場所
くらい くらい よる よりも くらい
ふかい ふかい もっと ふかい
まっくらな まっくらな
人類の最初の聖地は洞窟の奥深くだった。
そしてそれは秘密にされた。
本のなかにそう書かれた文章を読んでわたしはすぐに10万年前の洞窟のなかに飛んでゆく。
半ば呆然としながら、たったひとり洞窟の突き当たりの岩肌の前にへたりこむ人。
星や月の光も届かない、夜よりも暗い処。
ごつごつと大きな石や小さな石が地面を覆う漆黒の闇のなか、その人は蛇の目になって這うようにここを探り当てた。
ーどうしてここに来たの?
わたしは驚かさないようにそっとその人のなかに声をかける。
その人はその声を自分のなかから来た声だと思いしばらく目をつぶる。
わたしはもう一度声をかける。
ーどうしてここに来たの?
その人は今度は声を‘その’場所からのもの、つまり自分が導かれ、確認しようとした‘その’なかからのものと思ったようだ。
ここ おんなじ
ここ に おんなじまっくら ある
ここ だれも いない
ここ ときどきみえる あれと おんなじ
わたしが きた ところ
わたしが わたしに なる ところ
暗い暗いその閉じられた空間のなかでその人は見るとは無しに暗闇を見つめている。
暗がりを見ながら同時に‘その’場所も見ている。
わたしも一緒に‘その‘暗闇を見つめる。
それは誰にでも行ける場所だ。
誰もがちいさな頃にはよく見ていた場所だ。
ひとまずは目を閉じてみよう。
あらゆる刺激が邪魔になるからそれにだけ気をつけて。
つまり、そこへの近道は現代人の天敵とも言える「退屈」を通らなくてはならない。
真の退屈。
わたしたちを惹きつけるあらゆる刺激から離れたときに再び行ける場所。
小さな頃、遊び相手もいなくて途方にくれたあの長いながーい午後、どうしてた?
思い出してごらん。
まだ感情というものに支配されていなかったわたしたちは退屈の海のなか、ごろんと大の字になって目をつぶる。
午後の西陽が部屋に充ちるなか、幼いわたしたちの瞼はいまよりも分厚くて閉じた両目の内は容易に闇になる。そして…
そう。
それは見えはじめる。
本によると「内部光学により見えはじめる幾何学模様」とあるけれど、まさにそれだ。
あの頃すでにそのことは分かっていたけれど、わたしたちにはうまく言い表す言葉がまだ与えられてなかったのだ。
石器時代のひととわたしたちの小さなころとは多分とても似ている。
まだ外部に常識という舞台装置が設置されていない時代。
常識は人類がホモサピエンスになったとき、知性の糸として紡がれはじめたものだから。
ともかくもその人は始まりの頃の人として、ホモサピエンスという今に至るまで続くひと繋がりの種の幼児期の存在として、自分のなかに見える‘それ’を不思議に思い、目を開けたら見えなくなる‘それ’を目を開けて感じる世界のなかに写してみようと思ったのだろう。
まだ意味が立ち上がる前に。
聖なるものを求めるよりも前に。
ちょっと確認しておかなくちゃ、とその人は深い暗闇を求めたのだと思えてならない。
‘それ’そして‘その’場所。
はじめは見えてるものを確かめるために。
まだ自ら図像を描くこともしないで。
呆然と漆黒の闇のなかで。
目を開いても見えるだろうか、と確かめていたに違いない。
ブゥン、と虫がその人の耳元をかすめていく。
あちらで微かな水音がする。
蛇の息遣いもときおり聞こえる。
目の前には一瞬もじっとしてくれない光る紋様が色とりどりに弾け拡がっている。
その人はやっと見つけた秘密の洞窟で飽きることなくそれを見続けている。
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