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覚え書き

恒星 神様 抽象 幾何学図形

・恒星はメンタル界?メンタル体?
・言語化しにくいレベル

夜目覚めた時に頭上の空間に浮かぶ幾何学図形(ネオンカラーの四角形など)に覗き込まれている、たしかに夢でなく起きているがしばらく消えずにあるというMさんの話。図形から意志を感じるそうだ。
図形に意志を感じたのは私の父が亡くなる年に母と私が日南海岸で遭遇した(幾何学に編隊し、見ている間にその編隊を何度も瞬時に変形して見せた。夜の海上から陸に向かってこちらを見ている感じで。私と母だけでなく、通りがかりの高校生5人くらいとおびえながら見たのだった)UFOも同じだ。

恒星を昔の人間がどうして神話に結びつけ得たのか。
そもそもの始点はなんだろう。

我々が生まれた時点では既に神話はあったので、現代の、辿りうる限りの歴史からは「いつの間にかそういう神話があった」というところまでしか行けない。 

恒星と神様との関係に飛躍がある。

その、直感によるところの多い関係性がよいのだろうか?

そこを地上レベルの言語で埋めて橋を渡すことはできないだろうか?

論理に支配された現代人にその飛躍しているスピリチュアルな領域が隠されてしまっているのは何故だろう?

なぜ私たちはその橋を渡るのが難しいのか。

しかし、あらゆる学問分野をつかって人間は着々とその橋に手を伸ばしている。
ひとりひとり、ひとつひとつの人や分野だけではそう見えずとも、世界を見渡してみればそこを渡るための準備を何千年もかけて人類全体でおこなっている。

私たちが無意識に重ねる行動や研究がいつのまにか人類レベルでの前進につながっているように思える。

前進、というのは便宜上の表現で、時間という制約的な概念からも自由になれば(科学がそこにも目を向けはじめているのだ)もしかしたら答えは今すぐ訪れるかもしれない。前も後ろもなくなる。
そうなると、「かもしれない」という疑問・予測すらなく、すべては「ただ在る」に集約されるだろう。(悟りのレベル?)


・各恒星由来の宇宙人との関係説

・恒星ーメンタル体説

どれも卵が先か鳥が先か、に過ぎないのだとは思うが…

なぜ、人類は星に物語を重ねることが出来たのか?
なぜ、地上の集合意識はそうしたのか?

なぜ?ではなく、そうだからそうである、の向きからも考えられるだろう。

いいえ。
むしろ考え(思考は言語の支配下にある)よりも先にそれ(メンタル体/抽象界)はあったろう。
言語はあくまで地上仕様の記号なのだから。
混沌のなかからものごとを仕分け示し合うために記号がまず必要だった。

ちなみに、数学もまた言語である。
現状、普通言語よりコンセンサスレベル(縛り)の強い言語だと思われる。
それが望月新一氏の宇宙際タイヒミュラー理論などのようにコンセンサスを壊す…というかそれをも使いながら超えてゆく数学の可能性が検討されはじめているというところに、地上での変革への兆しが見受けられる。

土星を壊す天王星、土星を変容させる天王星的な。もちろん、これは占星術的な視点でいうところの。

論理性が抽象性よりもあとにやって来たものだとすれば。

抽象→論理

の順位が常に現象のルールなのだとしたら。

恒星という遠くの星に我々がそれぞれの抽象(イメージ)を投影しているのか、それともそうであるそちら側からの降下物の地上での現象化が神話という物語の生成だったのか。

そしてMさんがふと話された幾何学図形の訪問。

ちょうど恒星にまつわる会話のなかで差し込まれるように出てきたお話だったので私の直感はそれ以後ずっとここには関連があると、しつこくこのエピソードを想起させ続けている。

抽象界であるところの恒星の、それぞれに託された幾何学図形があるのかもしれない。
神社の神様のようなものは、そうした抽象的な‘はたらき’を擬人化した概念であると、昔なにかで読んだことがあったような。


ここ数日で私にやってきた関心事の覚え書き。

抽象と恒星、恒星と神様、幾何学図形と抽象。
ループしつつ。
ここにムドラ(手印)についての観想も投入しておこう。何か、つながりがあるように思えてならない。

ひとまず今日のところはここまで。

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