帰省

裏山から蝉の声が聞こえる。

しゃわしゃわしゃわ、とひっきりなしに降り注ぐその音が昼下がりの間延びした陽の光と溶けあって世界のすみずみに浸透している。


夢を見ていた。

目覚めてすぐには自分がどこにいるのか分からなかった。ぼんやりと目に入った天井板の木目と、午後の光の明るいトーン、そして隙間なく降り注ぐ蝉の声。ああ、ここか。いつの間に帰ってたのだろう。

遠くからは小さな山の根元に自生しているようにも見える家は曽祖父の代に隠居として建てられたもので数寄屋造りの、田舎にしては小ぶりの平屋部分にヤドカリの殻のような後付けの二階が奇妙な印象を放つ。


山の下の空気はいつも湿気を含んでいる。

私たちはまるで熱帯の樹木の精のようにたっぷりとした湿気の中でぐんぐん成長した。

夏の夜になると竹林が囁く。

どうするの どうするの どうするの

秋が近づくと虫たちが言う。

知っている? 知っている? ねぇ知っている?

明け方のフクロウが。

ウッキーさんを見た? ウッキーさんを見た?

「ウッキーさんて誰よ」私たちはフクロウが飛び去ったあとにいつも笑って言うのだった。


浜辺に降りて星のかけらを拾った夜は私たちはしめし合わせて神社の社の入り口に丁寧に砂を落としたきれいな桜貝を置いておく。代わりにこの拾った星は私に下さいね、と産土神にお願いするために。

それでないと、金の刺繍糸で縁取りのされた綺麗なハンカチーフに包み入れ机の引出しの奥の小箱に大事に仕舞っておいても、次に蓋を開けたときにはそのカケラは消えてしまうのだから。

私たちの産土さまはほんの少しやきもち焼きで悪戯好きな性分だ。意地悪はしないのだけれど、ちょっと困ったな、と眉が八の字になってしまうようなことは時々あるから油断できない。そして私たちが星のカケラを十分に集め終えてここから旅立って行くのを少しでも引き延ばそうとしてくるのだ。


そしてもう随分と前に私たちは星を集め終え、ここから発っていた。

蛇は彼女の統べる森へ

おかっぱ髪の小さかった私はこの世界へ


どんぐりのようなお目目ねぇ


いつだか産土さまは浜辺で私の髪の毛を梳かしながら歌うように言った。


そのお目目でようく世界を見ていらっしゃい


そうして足下でとぐろを巻いている妹には甘い夜露を垂らして解けゆくままに鱗を撫でてみせた。


あなた達も出てゆくのねぇ


潮風を受け星空と海の境を見つめながら産土さまは言う。彼女は見送ることにかけては年季の入ったプロなのだけれど、それでもやっぱり見送るということが一番苦手なのだ、とよく笑って言っていた。


いつでも帰っていらっしゃい


ああ。これは私たちが大昔から繰り返してきた言葉。産土さまもひいばばさまも母たちも。そしていつか私たちも口にするのだ。


いつでも帰っていらっしゃい


呪詛にして祝言。私たちを護るおまじない。

これは女たちのまじないの言葉だ。






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