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五月雨式メモ

私のなかのブームはかなり短期間に入れ替わる。二、三日で移り変わっていくうえに記憶力があまりよろしくないので一日、二日前の自分のしたことでもよく覚えていないことが多い。つまり、直近のブーム以外のことについて(もしくは直近のブームのことでも)はすぐに印象が薄まり忘れてしまいがちだ。

この記憶力の低下は老化というより、網膜色素変性症に付随した機能低下という実感がある。

これまで視力優位でずっと生きてきたので最優位感覚機能の視力が衰えるにつれ、他の感覚機能もバランスを崩して覚束なくなる、といった具合。

網膜色素変性症(徐々に視野が狭くなっていく症状)は難病指定されているため、今のところ西洋医学を頼りには出来ない。
病院に行っても「残念ながら今は何も出来ません」と言われるタイプの症状なのだ。
その限定的な世界観に身を委ねてもいまのところこちらに益はないので世界の広さを見込んで他の数多あるヒーリング分野の叡智を伴走者と見込み心の支えとしている。

目が見えなくなろうとなるまいと、まずは心の安定がなくてははじまらない。

何かしらの対処法を講ずる、という姿勢を自分自身に示しておくことが意識の面で肝要だと本能的に思って、病いを知ってからというものあらゆるひとの手を借りた。特に、恋人が施してくれるオステオパシーの療法は当初から私の身体と意識が気に入ったので長く続けている。

視界の映像が通常の人であれば4Kや8Kであるとしたら私のいまの視界は何bitだろう?
bit落ちして欠けだらけの視界を、おそらく脳がフル稼働して画像の補填をしてくれている。もやのようにかすむ世界の姿を、なんとか「それらしく」像を結んで見せてくれているのが感じられる。
だから、その他の情報を同時に拾うことは難しいようだ。いま私の黒目が焦点を合わせている、その方向の中心点からある程度の範囲内の映像を見せることにエネルギーが集中し、他のオーダーはその間通らない。

動体視力なんてものはハナから求めてはいけない。

飛び込んでくる障害物を避けることはもはや難しいと感じるので、街中を歩くときは自身が周囲から浮き立つほどにゆっくり歩いてみせる。
実際に何かに当たっても衝撃が強くならないようにするためと、異様さにギョッとして他者が遠巻きに動いてくれるようにするための、無言の圧。
これも効かなくなってきたらいよいよ白い杖のお世話にならなくてはいけないだろう。
最近では杖を持つ自分をイメージしてもあまり抵抗を覚えなくなった。
自己と周囲、双方の安全のためならあったほうがいいかも?

それはともあれ、見え方は日々移ろうのでそういう意味でも毎日外に出るたびに試行錯誤が続く。
光を受けるとホワイトアウトするから常に目の上に陰を作る、とか他者を避けるという発想が都会の人波のなかの人間には最早ない、という場所による現象を捉えておくこと、大音量のなかでは平衡感覚が瞬時に奪われること、見えないということで私自身がものすごく狭い視野(こちらは比喩として)に陥っていること…。

さて、それはともあれ私のいまのブームである松村潔氏の世界観に影響を受けていることについてメモしたかったのだった。

見えないことを逆手にとるつもりはないが、この世的な欠損はあの世的というか形而上学的というかエーテル界以上の次元での能力の発揮に繋がる…という考えかたは古代からあるので、何らかのこの世的欠損がある者としては‘失うからこそ得られるもの’があるのではないか?と期待してしまうのは許してほしい。もとより夢見がちな人間だからこのくらいの発想の転換はお手のものだ。いじけて生きるには人生は短すぎるだろう。(いじけたことがないのではなく、いじけた時期のあと振り返って「ホントになんの得にもならなかったな」としみじみ思ったことがある。多分、思春期のあたりだったと思う。そのあとも30歳くらいのときにも思ったような。)

さて松村潔氏の世界観はこれまた最近気になっている南方熊楠の世界観の現代版のようだな、とうっすら思っている。どちらもまだ浅いところまでしか私自身が触れていないけれど、印象として熊楠が実感していた‘世界(宇宙?)の歩き方’をこの現代に普通の我々に見える形(膨大な数の著書や毎日アップされるYouTube動画)でやってみせてくれているひとりが松村潔氏ではないかな?と早合点してみたり。
自分としてはこういう早合点(?)がとても楽しく面白い。

とにかく空き時間となると松村潔氏の動画を遡って見ている。
なかなか入ってこなかったキヨピー語(誰かがAmazonレビューでそう書いてたので拝借。愛をもって。)が急に頭に入るようになったことが嬉しくてそれでも分からないことだらけだけれど、分からないのは感性のズレから来ていることに気づけたのも物凄いギフトだった。
幼少時の、この世的感性へ無理矢理同調していかねばならなかったあの頃。
全体性意識のようなものを纏っていた幼児がこの世の洗礼をじゃんじゃか受けはじめる、物心がつく・つかないの境目。
その分岐点に回帰していくような感じがしているのだ。
環境生物でもある我々だから、また圧倒的な外部からの教育(触れる情報、この場合はキヨピー的情報)量によって感性を変えていけるかもしれない…という予感がある今。

見えなさからくる平衡感覚のおぼつかなさは、こういう時に重心移動のしやすさとなって現れている気がしたりしなかったり。

私の日常はそういう意味では探究に満ちている。

なかなか大変だけど悪いばかりでもなさそうでしょう?




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