あなたを忘れない
珈琲と羊羹と、思春期。
僕の祖父は、和菓子がとても好きだった。小さいころから、祖父のやる事なす事に興味津々だった僕は、祖父に倣って和菓子を食べた。
中でも、羊羹は一番好きだった。
久しぶりに街へ出て、観たかった映画を観て、ブラブラと服や雑貨や本を眺める。
昔好きだった作家の新刊と、小さな雑貨屋で見つけた羊羹はまるで運命のようで、子どものようにわくわくした。
外に出ると思い出す。昔好きだったものや景色、その色々。
僕を彩るものは全て、祖父から教わった。大人になることが恐ろしく、怯えていた僕をすくい上げたのは、本や写真。
飲めなかった珈琲は、文字通り苦い思い出になって、豆を挽かせてもらったときのあの、ごりごりとした感触は、今も手に残っている。
「あら、帰ってたの?」
「うん、羊羹を買ったからさ。じいちゃんにもと思って」
仏壇にそなえられた珈琲と羊羹を見て母は、相変わらずのじじっ子ねと笑った。
「母さんたちだって、男手か必要だろ」
「もちろん、助かるわ」
僕には父はいない。その代わり、と言ってはなんだが、母が二人いる。何も問題がなかったわけはない。僕らみんな、たくさん傷ついたけど、でもそれだけじゃなかった。守られたし、愛された。
そんな風に、僕らは過ごしてきた。長く、けれどあっという間だった。
「あんた、どうなの?」
「んー?」
「ほら、カノジョとか…」
なにがそんなに楽しいのか、きらきらした顔で二人の母は僕を見つめている。
「どうだろうね?」
「また、そうやってごまかして…そういうところ、おじいちゃんにそっくりね」
いたずらっ子のような、祖父の笑顔を思い出す。
「大事な人ができたら、ちゃんと紹介するよ」
今でも、どこかでまだ大人になることを拒んでいる。僕は、こんなにも大人なのに。
どこまでも、いつまでも続く道は、どこで途切れているのか。一足先にそれを見つけた祖父を、僕はずっと追いかけている。
大きな背中を少し丸めて本を読む祖父の傍らには、珈琲と羊羮。僕の思春期は、その光景とともにあった。
いそいそと、珈琲を淹れて。大好きな羊羮と、思い出の本。
人生という道は壮大で、たまに迷ったり躓いたり、蹲って動けなくなったりする。そんな時間がほとんどだったとしても。
「まぁ、悪くないんじゃない」
一瞬でもそう思えるのなら、そのまま進み続ければいいんだ。そうしていれば、いつか、会いたかった人に追いつけるんだから。
了
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