藤井彩目の傷跡/軌跡/奇跡
ふつうの軽音部の記事を書きます。
37話、すごかったよな~~~!!と興奮も冷めないところにライブ後の38話も来ておれは両手をブンブン振って喜んでいるんですが、次にくるマンガ大賞第一位を受賞、さらに単行本第3巻も発売され、はーとぶれいく結成の一区切りまでがあまねく世の人々に"伝道"されたことと思います。
え!?まだ買ってない!?買いましょう三巻!!!遠野くんのおまけマンガもついてるよ!!!
さて今回の幻覚……もとい個人的な感想は、藤井彩目という人の道のりについて書き連ねていこうと思います。
第三巻発売まではちょっとネタバレすぎて話しづらいかなと思っていたのですが、バンド結成でしっかり彩目ちゃんの過去が明らかになったので単行本派の人にも彩目ちゃんの話をしてもよい時流になってきたと考え、前々から考えてきた藤井彩目像のお話をします。
※本記事はあくまで勝手な個人的解釈で書いておりますので、公式とはなんら関わりのないことをご承知おきください。当たり前ですが念の為……。
ここまでのおさらい
以前、25話がよかった!という記事を書く中で藤井彩目ちゃんの人となりについて掘り下げて考えましたが、そこのところのおさらいをしていきます。
彩目ちゃんは、鷹見くんがある種のイヤミとして指摘しますがわりあい普通の人です。普通の人なのに普通であれなかったがために、「私は人とは違う」と跳ね返らざるを得なかった。
もともと自分の振る舞いに鼻につくところがあると自覚していた彩目ちゃんは、人とのぶつかり合いを経て、何度か「自分を良くしよう」と努力してギターを練習したり運動して体格を絞ったりと努力してきました。他者の反応や考えをよく観察していて、自分を変えるために行動できる。そう、すごくいい人なんですよ、彩目ちゃん。物語序盤では嫌な面ばかりが見えていたものの、頑張って自分を変える努力ができる人であることが明かされる。
元来そう悪い性格でもないというのは、はとちゃんも言っているとおり体育祭で見るに見かねて手を貸してくれるあたりによく出ています。
ただ、同時に壊滅的に巡り合わせの運がない人でもあった。これだけ頑張ってたのに周囲にいい人が全然寄ってこなかった、という側面もわかってきます。
とくになんかやったわけでもないのに裏で性格の悪い連中に僻みを言われまくっていた中学での挫折を経て、追い打ちをかけるように高校で憧れの桃ちゃんが一軍女子やってる場面に出くわし完全に絶望。ついには闇に染まってカースト上位の鷹見くんを利用して見返してやろうとすれども破局するなど、ことごとく自分の善意や人と仲良くなろうという頑張りをへし折られた受難の人だったわけですね。
このように彩目ちゃんは、素の性格は努力家で人に歩み寄ることができる人物ながらも、無数に傷ついてしまったせいで人間不信になってしまった人……というのが、単行本第二巻~第三巻でわかります。
頑張り屋だけどもつらい過去を味わって心折れそうになるなど、家族や声のことで悩んでいたはとちゃんの過去に少し近いものがあります。ある意味では、はとちゃんが心折れてたどり着いていた別の未来と言えるかもしれません。
傷跡
ではどうして自分を改めようとまで思える彼女が、こんなに態度が悪くなってしまったのか……。これがまた藤井彩目という人の複雑な部分なのですが、高校に入ってからの彩目ちゃんの行動はすべて先手を打って敵を叩いてやろうというものだと思われます。
どうせ裏で悪口を言われたり、裏切られたりするのであれば、今までされたようなことを先にやって攻撃してやろう。これまでされてきたことを真似て、自分の身の守り方として使ってしまったわけですね。
その結果、人との関わり方を誤って学習してしまった彼女は破滅の道を辿っていくことになります。他人の悪いところを細々とあげつらい、時と場合を気にせず発言してぶち壊しにする性質を身に着けてしまうのですが…。
そんな折、彩目ちゃんの前に一筋の光が差します。彩目ちゃんの境遇を知らないながらも、鷹見くんに対して本気で怒り、頑張ってきた彩目ちゃんを認める"理由なき反抗"を歌い上げるはとちゃん。こんな性格の自分が仲良くなれるかどうか、という彩目ちゃんの最大の懸念にも、「みんなが仲いいよりかっこいいバンドをやりたい」と先手を打ったあたりにセンスが光ります。うーん、神の采配やね。
それからの彩目ちゃんは、本当によく笑うようになりましたね。バンド活動でもイキイキとしていて、言うべきことを言ってくれる得難い仲間になりました。
ここで注目したいのが、彩目ちゃんが非常によく周りを見ていること、場の空気に流されず指摘できる人物として機能しはじめていること。これは本当に面白いなと思ったのですが、彩目ちゃんが発揮し始めたこのふたつの長所はこれまでの短所の裏返しでもあるんです。
彩目ちゃんは他人を気にしがちというか細かい瑕疵まで徹底的にネチネチ悪口を言う性格になってしまったのですが、それは他者を観察する目がないとできないこと。また鷹見くんに対して炸裂してしまった「相手の表情や話の流れを断ち切って自分本位に話す」という欠点は、ある種の強い意志力の表れでもあります。
これらは先に触れたとおり高校になってから身についてしまった悪癖なのですが、彩目ちゃんの根底で猛毒を生み出し続けていた人間不信や孤独が取り払われたことで毒気が抜け、加害性が落ちたことで長所になったのではと思います。
たとえ何かあっても「まあ、ハトノと桃がおるしな……厘はアレやけど…」と精神的に安定できる居場所を得たことで、彩目ちゃんの受けた傷、間違ってしまった道のりが、無駄にならず違う形で花開いているんですね。
おれはこれをどこかで見たことがある………これは、まさしく自分の短所を受け入れ、コミュによって生まれたペルソナ……いや…違う。もっとふさわしい呼び名は……
傷痕能力……!!!
痛みを昇華した先に
いきなりゴクシンカの話に飛んでしまったので読んでる人が困惑してそうなのですが、おおよそ手塚くんが成長していった道のりと同じことが彩目ちゃんにも起こっているのではないか、とおれは推理していて…。
すみません。ギアを上げすぎたので順を追って話していきましょう。
ゴクシンカというヤクザのスタンドバトルが始まる漫画があるのですが、このなかで主人公の手塚くんは自分の受けたトラウマや精神的ショックから自分になかった強さを吸収し、メンタルを強化する傷跡能力なるものを駆使します。
さっきの「しらす丼が食べたいよ」は食堂のババアにしらす丼の注文を忘れられて放置くらってたのを「なんで確認とらないでボサッと座ってんだい!?」と逆ギレされた経験から発動しています。生き死にがかかった大勝負に気持ちで負けかかっていた手塚くんは、食堂のババアから受けた仕打ちから道理を無視する強い自我を吸収し、起死回生の一手を打つことに……。このへんの手塚くんの傷跡能力は終始おもしろいので読んでみてください。
まさにこのゴクシンカが傷跡能力で描いているとおり、人生の中で「嫌いだしムカつくけれど、あいつのああいうところは生きやすそうだし真似してもいいかもな……」と思うことがしばしばあります。
その体験自体は嫌なこと、間違いなく負の思い出ではあるのですが、毒から薬を作るかのようにプラスの要素だけを抽出することがある。これは一度へこたれながらもまた起き上がる、雑草魂のはとちゃんも得意とするところですね。
彩目ちゃんはもともと自分にハードルを課して鍛錬したり、受けた傷を思い出しながら自分を変えることができる人物なので、これまでの自分の悪いところを振り返って濾過することもできるのではないでしょうか。
その視点に立っていまの彩目ちゃんを見ていると、まさにそれができているように思えます。傷を負って、泣いて、間違ったその先に、その間違ったことすらも積み上げて高みにたどり着く。やってしまったミスから学習して昇華されているのですね。
強がってなんとか生きていくために獲得した空威張りがもともと持っていた彩目ちゃんの善性と絡み合い、言いづらいことをきちんと指摘し、周囲のケツを叩いてキビキビ進行してくれる見事なオカン気質として開花。はーとぶれいくの実力をメキメキ上げる敏腕コーチとして頭角をあらわしていきます。
名づけるなら、そう…傷痕能力"あんたさっさと宿題しぃや"…………!
傷ついても間違っても生きる
今回は彩目ちゃんにクローズアップして語りましたが、ふつうの軽音部は全体を通していまどきの漫画としては珍しいくらい登場人物が傷つくし、人生の選択を間違います。
今の世の中では最初から正解を選びたがるコスパ・タイパ思想が台頭し、失敗のハイリスク化、ネットいじめの激化など環境が厳しくなっているのですが、それに抗うかのように彼女たちは挫折から這い上がる。
そんな姿に勇気づけられるし、自分の人生を振り返ってみても「そうだなぁ」と思えるところがあります。
なにかと臆病になりがちですけれども、人生ワンミスで死ぬわけではないし、失敗は何も産まないわけではない。そりゃあ何もかもから何かを学べるとは限らないし、理不尽な悪意を受けて心折れ無意味な時間を過ごすこともときにはあります。でも、一撃ですべての人生が終わるような失敗というのはそうそうない。たかだか今のコミュニティで立場が悪くなるとかその程度です。自分が知らないだけでこの世に自分が属せるコミュニティや組織は無限にありますし、来年再来年にはどこかで楽しくやれているかもしれない。いまこの瞬間だけが人生の全てではない。
生存者バイアスだろとか言われればそれまでなのですが、学校裏サイトに実名で悪口を書かれまくっていたおれでも就職してぼんやり生きているので、人間は意外としぶといというかたかがそのくらいの困難ではわりと生存できます。志望校に落ちるだの就職に失敗するだの留年するだの人生を賭けた計画が頓挫するなんてのも普通のことです。おれはこの失敗を全部やりました(小声)
ふつうの軽音部には、「失敗することへの赦し」があるように思います。いっときミスをしたり、性格が荒れてちょっと嫌なやつになったくらいでもうそいつは生きてちゃいけないのか?人生全部ダメなのか?それは違う。失敗して傷を作って、その傷を見て成長する。きれいな恥のかき方、小さい怪我で済むコケ方、起き上がり方を知る。そして次はもう少しマシにやれるようになる。痛みに対して臆病になりがちな時代ですが、この作品はとても大事なことを言っているように思います。
おれ自身「成長」という言葉が意識高いバカっぽくてあんまり好きではないし、何でもかんでも教訓にしろと綺麗事言ってくるやつが苦手なんですが、でも実際問題失敗から学んで生きてきたことはいたずらに否定もできないよなとも思います。考えてみれば、たしかに転ばずに歩けるようになった人間はいない。人と人との距離感や熱量で失敗して、「おまえ行動が痛いよ」だなんて言われることもあったりして、だからこそ間合いの取り方を少し考えられるようになったり……。そういう無数の傷跡が道のりになって、今ここに続いています。
彩目ちゃんを見ていると自分の過去を思い出すところがある……。
良い人と出会って仲良くなる運に恵まれなかったり、大した理由もないのに同性に嫌われたりする悩みって現実の我々にもけっこう当てはまるんですよ。彩目ちゃんみたいな境遇の人が本当にいる。生き方が不器用な我々にどこかしらに刺さるところがある人です。だけど頑張り続けて花を咲かせた彼女の姿を通して、いつかあたたかな仲間に囲まれて陽の光を浴びる希望を持てたり、これからもきっと大なり小なり失敗する自分への救いも感じられる。ふつうの軽音部はそういった、読者とどこか重なるところのあるキャラクターたちが七転八倒して立ち上がるところを応援したくなったり、苦しみと戦って報われることに暖かさを感じます。
たぶん、彩目ちゃんやはーとぶれいくの面々にはまだまだ苦難が待ち受けているでしょう。物語は始まったばかりです。でも、自分たちの戦い方を理解し始めている彼女らであれば、きっと大丈夫だと思える。はとちゃんたちがみっともなく転びながら、それでも体当たりで巻き起こす奇跡が楽しみです。