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居場所を見つけよう

先日街の中心部にある図書館での話。開館が10時で、私は開館を待っていた。先頭に2人、後方に5人くらいが行列を作り、静かに開館を待っていた。10時になり人々は順番に入っていく。私は調べ物があったので、目当ての書籍がある方に向かおうとしたら、後ろからちょっとこづかれて、一瞬よろめいた。後ろから来たおっさんは、私とぶつかったことに謝りもせず、一目散に新聞コーナーめがけて小走りに走っていった。私はむっとしながら怒りのやり場もなく、その光景を呆然と見るしかなかった。

おっさんの後ろ姿を見て、楠木新の「定年後」に出てくるシーンを思い出した。それは図書館で新聞を奪い合う高齢男性の光景が描かれていたこと。つまり日中暇な時間を持て余した男性たちは、図書館に行って新聞や雑誌を読んで時間をつぶす。たまに目当ての新聞を他の人が読んでいると、イライラし、最悪の場合「早く読め」と罵り合うケースもあるという。

私を軽くこづいた男性も、他人に負けじと早く新聞コーナーに行き、目当ての新聞を読もうとしたのだろう。私は怒りを通り越して哀れに思うと同時に、絶対に自分はそうならないと心に誓ったのである。

定年した男性は会社という居場所がなくなると、途端に浮浪して居場所を探す。その最たる場所を私はSSTと勝手に名付けている。つまりS(スポーツクラブ)、S(ショッピングモール)、T(図書館)。スポーツクラブ通いをしている66歳の知人は、週3日会社に行き、他の4日をスポーツクラブで汗を流す。「日中のスポーツクラブは高齢者ばっかり」とその男性が言うように、高齢者の社交場と化している。その男性はバレンタインデーに高齢女性からたんまりとチョコをもらい、「ホワイトデーのお返しが大変なんだよ」と苦痛の表情を浮かべながらも、嬉しそうだった。

ショッピングモールも高齢者のたまり場である。夏の高校野球が始まると、エアコンの効いたイベント広場のテレビで1日中テレビを見ている。野球中継だけに高齢男性がやたらと目に付く。暇つぶしと体調管理のダブルメリットで快適なのだろう。図書館では、本も読まずにうたた寝している老人をよくみかける。

結局行き場所がなく、家庭でも妻から煙たがられ居場所のない男性たちはSSTに夜のカブトムシのように集まってくる。それは単なる時間つぶし、暇つぶしでしかない。何と勿体ないことか。時間は有限である。死ぬまで残された時間は少なく、これからの時間は貴重な時間なのである。仕事やボランティアで社会や人の役に立ったり、学んで成長したりとやることは他にもある。毎日筋トレして何が楽しいのか。

SSTを反面教師にして、自分だけの居場所を見つけよう。そして有限の時間を大切に生きていきたい。

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