「ビリガマ」はどの辺りがビリなのか
「ビリガマ」というタイトルで想起されるのは、やっぱり「ビリギャル」ですかね。確かヤンキー校の生徒が猛勉強して、一流大学に合格するまでの話だった。映画にもなっていたし、「努力すれば叶わない夢なんてないんだ」というメッセージをもってヒットしたんじゃなかったか。
では、青井こうきさんの新刊コミック「ビリガマ 高卒に厳しくなってきたゲイ社会をたくましく生きる店子の日常」(ポット出版プラス)では、どんなサクセスストーリーが語られるんだろう。タイトルから勝手に内容を決めつけて読み始めてしまったんだが、すぐにこの本は一筋縄ではいかないことに気づいた。「ビリギャル」に共通するような学歴のレベル格差も語られているのだが、ここにある「ビリ」とはもっと広義であるようなのだ。
本書では、「ビリガマ」はこう定義づけられている。
「ゲイ界(オカマ界)でいろんなことでビリな残念なゲイのこと」
あー、こうなってくると厄介です。「大学に合格したよ!」なんていう明快な「ビリからの脱却」の答えがないからだ。いろんなことでビリ、そして残念。こんな状況じゃ、そうそう簡単には浮かばれないではないか!
ゲイのタメ会に行けば、学歴でグループ分けされてしまう。高卒グループのこうきさんは、そこでゲームを競う羽目に。ホームパーティーでは、パシリのような役割をさせられる。また遅刻して参加した乱パでは、キモ顔の主催者とやることに。詳しくは本書を読んでいただきたいが、「そんなことってある?」のオンパレードだ。
幼い頃のエピソードにも、悲痛さが満載だ。(そのシリアスな半生は、こうきさんと中村うさぎさんの共著の「ぼくは、かいぶつになりたくないのに」(日本評論社)にも描かれています) この「ビリガマ」での例としては、学校で階段から蹴り落されたり、エアガンで顔を撃たれたり。さらっと「こんなことあったよね」と語られるのだが、どう考えても尋常ではないです。
また家族と過ごした幼い頃の苦いエピソードにも、多くのページが割かれている。それは大人と呼べる年齢になった視点から、冷静に、客観的に、綴られていく。ここで気づくのは、驚くほど聡明な分析で見つめ直していることだ。おそらくは現在に至るまでに、残念だった体験をかみ砕いて、ろ過して、無毒化する工程があったんじゃないか。その結果として、読者にはやわらかい温度だけが伝わってくる。その素朴な線で描かれる人物の温かい表情といったら! 幼さゆえのバカで純粋な感情だけ描かれているようにも見えるのだが、きっとそうではない。こうきさんだから到達した、これが自分の過去との向き合い方の答えなのかもしれないです。
一流大学に合格する話じゃなかったけど、サブタイトルにある通り、この厳しい社会をたくましく生きている。ちゃんと、ビリからの脱却まで描かれていたというわけでした。
(2024/10/23)
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