新宿二丁目ひとりぼっち
会社勤めだった時に、オフィスの空いている会議室を予約して、ひとりで作業をしていたことがある。そこで私は、小説雑誌に掲載する記事をまとめていた。担当していた見目麗しい作家と、いわゆる大家と呼ばれる作家の対談。これはライターに任せてもいい仕事だったのだが、思い入れの深い作家だったために、また自分も熱量が高い年齢だったために、あえて手間のかかるほうを選んでいた。
本来ならどこかの編集部が集まって、打ち合わせに使うような部屋。ここを勝手に独占している。「でも面白い内容にしてやるから」と、そこら中に資料を広げて盛んに原稿に向かっていた。
経過したのは数時間だったか、半日だったか。休憩のために会議室を出て、戻ってきた時のことだ。ドアを開けて部屋の中に入る。
あ、自分ちの匂いがする。
ていうか臭い!!
まだ30歳くらいの私だったが、そこにあるのは父親のような、もっとオッサンがまとう空気だと思った。突如として、会社というパブリックな空間に現れた違和感。集中して仕事して脳内が活性化されている時、毛穴からはこんなものが分泌されるのか。コップの水に差したストローに息を吹くと、口臭が確かめると聞いたことがある。当人は感知できないものを客観的に捉える手法だったが、この部屋はコップの水なんだと思った。
なぜこんな記憶が引っ張り出されたかというと、最近、お客様がいないアデイにひとりでいることが多いからである。もしや、外は大雨が降っているんじゃないか。アデイが漂流教室してるんじゃないか。それらを探るために外に出てみる。階段の下で、お客さんと会っちゃったりして。そう期待して、やっぱり裏切られて、お店に戻る。そしてアデイの独特の音がするドアを開けると……。あの時の「自分ちみたい」がやってきたのだ。
このまま誰も来ないと、私の肉体の境界が溶け出して、アデイの隅々まで充填されてしまう。でも、ふと軽い冒険心も芽生える。自分の一部をあえて分離させて、つまりは着てきたシャツを店の壁のハンガーに吊るしてみる。おー、ますます自分ちみたいだ。恐ろしいけど、なんかちょっと面白い。(一応言いますが、中にも着ているんで半裸にはなってません)
先日の中村うさぎさんの読書会イベントでは、店内にびっしり人がいたのにな。ここが同じ場所とは思えない。人が多く存在すれば、その分だけ空間は分割される。集団が放つ人いきれはあるだろうが、この時それぞれの個体が放つ特性は薄まっているわけだ。
新宿二丁目ひとりぼっち。単独航海の太平洋じゃないけど、誰もいない。ああ、早く誰かと交わりたい。私は希釈されたいのだ。(こうやって書いていると、自分を中心に空気が黄色く澱んでいるようですが、ちゃんと換気扇が回っているし、実際の店内はクリーンですんで。念のため)
(2024/10/16)
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