43歳おめでとう私。40代になってはじめたことやめたこと
めでたく本日43歳の誕生日を迎えました。
主役になることが苦手なため、とにかく勝手に表示してくれるSNSの誕生日は非表示設定。
【はじめたこと】
■ヨガ以外の運動。
元陸上部ということもあり、体力には自信がありましたが、40代になってガクンと衰えを感じることが増えましてん。
太りやすくなり、これまで感じなかった便秘とか冷えとかがすぐそこに。
ギックリ腰になった時に決意。
「そうだ、筋肉だ」。
ヨガ講師だから、3日に1回は必ずヨガする機会はありました。
でも私がしたいヨガはパワー系燃焼系ではない。
落ちた体力、落ちる代謝に抗うというより、共存していくために。
筋肉よ再び。
■セルフケア
写真に写る自分が物申したくなるほどひどい!
お灸、かっさ、セルフマッサージをちょこちょこ学び、おうちでちょこちょこっとやってます。
時間をかけるとか丁寧とかできない性格なので、質より量重視。
化粧品にお金をかけるより、結局10年選手のスチーマーに軍配。
手を動かさなくていいというのもよき。
■グッズに頼る
姿勢サポート靴下
乾燥機付き全自動洗濯機
骨盤矯正ガードル
いいフライパンといい鍋
■「いつか使うだろう」「使う時になかったら困る」という貧乏根性を捨て、家の中で目に入るものは、『使っているもの』『好きなもの』に。
■お願いしたいことをはっきり口に出す
■憶測と感情vs事実を整理する
■断る勇気と断られることを恐れない
■自分以外の人に(娘たち含め)意見を求める
■「子どものために」の大義名分はやめて「私がしたいから。」
■今出来ることは、今やる
【やめたこと】
■姉妹は平等、という考え
本人が欲しいもの・やりたいことを本人に直接聞く。
親の裁量で判断しない。
親が平等にと思ったことも、本人にとっては迷惑なことも。
これは私が40代と同時に娘たちが意思表示&コミュニケーションとができるようになったから
■親に頼りたいという気持ち
比較的近所に住んでいる双方の親ですが、私がお願いしたいと思ったことはことごとく断られてきました。(今でもちょっと根に持っている)
反対に、それはいらないけどな~という点において手厚かったり。
欲しい手助けと不要な手助け。
親的には手助けと思っていても、私には負担になることも。
ありがたいんですけど、不要不急ってこのこと。
(これが、↑■姉妹平等という考えをやめた に繋がっています)
私とオットは長男長女で、お互いの親は5人兄弟姉妹の末っ子と一人っ子。
ある人に「あっこちゃんとお母さんはたまたま親子だけど、魂レベルではあっこちゃんがお母さんを守ってあげる立場だね」って言われて納得。
■出来る方がやる、という家事分担
共働きの夫婦で「家事は出来る方がやります」って聞く。
二人とも疲れてて出来なかった・・・とかいう場面はどうするの?
オットにはやらない選択肢はあるけど、私にはやらないという選択肢はない。
いわゆる「名もなき家事」はオットの中に「家事」として組み込まれてないわけで。オットのタスクにある家事は①料理②洗濯③ごみ捨て④掃除機⑤お風呂掃除、くらい。やりたくないのが見え見えなのがトイレ掃除。これはきっと彼のタスクには入ってない。
つまり、オットの中では「自分がやれるタイミングで、気が付いた家事をする」という概念になっているモヨウ。
ポイントは「自分が出来るタイミング」というのが、主婦との違い。
主婦にタイミングなんて言葉はない。
出来る方が・・・って言うと、全部私になるやん。
家事やったった~っていう空気を放ちながら、
ソファに座ろうとするところで
「いやいや、まだ宿題の丸付けあるし、洗濯機終わってるし、食卓拭いてないし」って心の中でツッコミながら、私は塾弁を作ってる。
というわけで、
「これからはやって欲しいことを口に出します、で、納期があるときは納期も一緒に伝えます、納期がない場合はお主のタイミングでよろしい」というルールに無理やり決定。
■丁寧な家事と片付いた家
いくら片付いていたとしても、私が鬼の形相でイライラしながらやってる家事ならしない方がいい
■なりたい母、なりたい妻、なりたい嫁、なりたい娘という理想を求めること
私は私でしかない。
なりたくてもなれないものになろうとして苦しいなら、目指すこと自体幸せじゃない。
■気を利かせる、ということ
ついついほんのちょっとサービスしてしまうことがあり、そのせいで「やってあげた」という気持ちが出てきてしまう。
相手に気付いてもらわないと報われた気持ちにならない「気の利かせ方」なら思い切ってやらない方を選ぶ。
娘たちが小学生になり、高学年になり、少しずつ子供から一人の人として成長していく姿を見て、私はこれから娘たちに何ができるかな、って考えています。
私自身の人生を楽しむことはもちろんなんだけど、私が女性として見せたい姿でいることかな、と。
「うちの母はいつも笑顔でした」っていう母親にはなれないけれど^^;
幸せな女性としての姿を見せていきたいな、と思った時に、【はじめること】より【やめること】の方がシンプルだなと。
オットにとっても、
娘たちにとっても、
私という存在が、家にいるだけで意味がある、
そんな存在としていられたらと願う40代。
誰かの心の在り方のヒントになればうれしいです。