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わたしは存在するのか?

今日は、「わたしは存在するのか?」という哲学の話をさせていただきます。
私は、自己意識について感じる部分のことと定義します。
自己意識というものは、結論存在しません。
私は幻想です。
よって、私が感じる苦しみや悩み、これも存在しません。
わたしが感じる苦しみや悩みも幻想です。
自己意識の幻想であるということです。
それはなぜ幻想と言えるのでしょうか?
私の脳や体細胞は、刻一刻と移ろう存在であるからです。
絶対的な、脳や体細胞は存在していません。
よって、私を構成している体は移ろいます。
また、私が、自動的に注意を感じる脳の働き、認識の自己意識、これもうつろう存在です。
幻想です。
絶対的な存在はしておりません。
例えば、私の自己意識は十個のコミュニティにおいて十個の自己意識があります。
この十個のコミュニティは、空の天気と似ております。
あるコミュニティは、消えてなくなり、あるコミュニティは移ろう。
よって、十個のコミュニティにおける私の自己意識は、幻想であると言えます。
このように、わたしは存在しない。
幻想であると。
で、私はどのように、生きるのでしょうか?
その生き方を決めるのは自分次第です。
わたしは、十個のコミュニティにおける十個の自己意識を持ちます。
この十個の物語を幻想として、物語を描く。
その中で、わたしは、健康資本と社会資本を増強するゲームに注力しています。
この、健康資本と社会資本に注力する。
生き方を決めたのはわたしです。
私は幻想です。
この健康資本と社会資本を増強するために、道具ツールのお金使い、また、人的な能力を使う。
その結果、健康と社会において、
個人としての成長手をに入れる。
愛に満ちた人間関係、信頼を手に入れる。
コミュニティの貢献を手に入れる。
この、個人成長、愛信頼、コミュニティ貢献、この3つの幸福製造装置を増強したい。
これがわたしが選んだ生き方です。
まとめます。
「わたしは存在するのか?」と言う問いに対して、存在しない、幻想であるという事実です。
その中で、わたしの生き方を、健康と社会資本のための幸福製造装置を増強する生き方に決めました。
十個のコミュニティにおける自己意識という移ろう存在の中、
わたしが個人成長、愛信頼、コミュニティ貢献の三つに注力した人生を歩んでいきたいと思います。
本日は、
「わたしは存在するのか?」という哲学的なお話をさせていただきました。
本日は最後まで拝読いただきまして、ありがとうございました。
それではまた明日さようなら。