60年前の修学旅行 SLに乗って
ヤマブキの花が咲いた。
黄金色の花房が春の風に揺れている。
修学旅行はSLに乗って
昭和38年小学6年生になった5月、ワクワクドキドキしながら小学生最後の修学旅行に行った。
当時、父の仕事の関係で奥会津の村に住んでいた。
小さな村の部落の同級生は確か20人にも満たず、男女合わせても16、7人だったと思う。
今でいうポシェットを少し大きくしたようなカバンに、着替えや少々のお菓子を入れた。
いちばん近いJR駅は只見線の会津川口駅。
その駅までどうやって行ったのか覚えていないのだが、SL列車に乗り、会津若松へ1泊の旅だった。
日頃、車も滅多に走っていない、文明には程遠い田舎に住んでいる少年、少女たちは大はしゃぎ。
SLがトンネルにさしかかると窓を閉め、手ぬぐいで口元を押さえる。
SL沿線の村で赤痢が流行しているというほんとかウソかわからない話には
本気になって手ぬぐいを口に当て、「息を止めねばね」などと
過剰な興奮の渦に巻き込まれた。
2日間の会津若松での行程は記憶があいまいで鶴ヶ城と飯盛山はどちらを先に見学したのか、さざえ堂は。
そのほか、どこを見学したのか・・・。定かではない。
宿の夜
旅館に着いてまず最初にしたこと。
宿の仲居さんが来て、大きな袋だったか、米びつだったか定かではないのだが。
自宅から持参した米→信じられるだろうか。布袋に入れた米(3合位)を仲居さんが持ってきた入れ物に一人一人、ザザーッと入れていくのだ。
子供だったので世の中の事情は分からなかったが、今思えば、その米で宿泊代を差し引いてもらったんだろうか。
当時、米穀通帳というのがあったので、そんなのも関係してたのだろうか。
米が今ほど自由に買えなかった時代。
その夜は確か、薄暗い大部屋で皆で頭を並べて寝た。
朝。
男子の誰かが失禁したと大騒ぎ。
慣れない旅で疲れたんだろうね。
今となれば、笑い話だが、本人はどんなにか辛い思いをしただろう。
小遣いを無くさないようにとスカートの内側に小さな小銭入れを作ってくれた祖母。
祖母にお土産は何か買ったのだろうか。
ヤマブキの黄色い花穂がたなびくといつも思い出す修学旅行でのこと。
*ヘッダー画像の写真はクリエーター なにわのスキンヘッドさんからお借りしました。
ありがとうございます。