
私がダンスに辿り着くまで1(水泳編)
JJF教室で生まれた私のコンセプト(仮)は
『自分が好きで 自然体で 存在感のある 自分の好きを伝えるダンサー』
だが、私は自身を「ダンサー」と呼ぶことができない。
人に説明するならば「趣味でダンスを”習っている”人」である。
学生時代は小学2年生から大学卒業まで15年、体操競技(器械体操)の選手だった。
が、その前に少し水泳教室に通っていた。
小学1年生の水泳の授業であまりうまく泳げなかった私は、「水に落ちたら死んでしまう」と思って、自分の意志で水泳教室に入れてもらった。
なので楽しんでいたわけではない。もちろん生徒の中で一番泳げない。
ある日コーチが「大人用の深いプールで泳いでみましょう!」と言い出した。
私はまだ25メートルを足をつかずに泳ぎ切ることはできない。
「嫌だ、怖い。」と言ったが、コーチは大人プールの真ん中あたりに立ち、「ここまででいいからやってみよう!」と手を広げて待っている。
他の子たちは皆コーチのところまで泳いでいって、抱きとめられていた。
最後の一人の私は、恐怖のあまり目をつぶったまま泳ぎだす。
がむしゃらに水を搔くがまだ着かない、おかしい、もう息が苦しい!となって目を開いた時見えたのは、後ずさりするコーチの脚。
その瞬間絶望を感じ沈みそうになったところで腕を掴まれ、ようやく息を吸うことができた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔が気持ち悪い。
親戚から「小賢しい子」と言われていた私は、コーチが良かれと思ってやったことなのは分かっている。自転車の練習で「ちゃんと支えてる?!」「うん、持ってるよ!」(←こっそり手を放す)「わー、一人で乗れてるよ!!」ってやるのと一緒。
でも私からしたらあれは裏切り以外の何物でもなかった。この嘘つき!!
溺れて死ぬかもしれないと思った恐怖と疲労、恥ずかしさやコーチへの不信感を抱えてぐったりしながら歩く帰り道、隣の体育館で運命の出会いを果たす。
そこで見たのは平均台の上でバク転をパーンッ!!と決めるお姉さんの姿。
「か、かっこいい・・・!!」「すごい、あれやってみたい・・・」
そして「体操やりたいから水泳は辞める」と言えるとも思った。
水泳を始めるときに母親から「家は貧乏やから習い事は1つしかさせてあげられへん、簡単にやめてしまうようならだめ。」と言われていた。
苦しいししんどいけれど、(危機感からとはいえ)自分から習いたいと言った水泳を辞めたいとは言えなかったのだ。
今でもあのバク転の光景をはっきり覚えている。
体操教室は定員がいっぱいだったので次の年、小学2年生になってようやく入会。その年の冬に選手コースに推薦され、週4~6日体操の練習に明け暮れることになった。