第4話 有頂天に生きる日々

あの頃、どんな気持ちで生きていたのか。正直思い出せない・・・

長女は大学に入ってから演劇をはじめて活動範囲が幅広くなり、たしか、この2008年の夏にイギリスのエジンバラで開催されるフェスに1ヶ月出演していた。
次女も大学生になり、この夏に夫と三人で台湾旅行に行った。

術後、体力が回復するとすぐにバレエのレッスンに通いだした。
スポーツジムは辞めて、某体育館のゆったりとしたヨガ教室に通い始めた。

「仕事は手伝わなくていい、お前はゆっくりとしていてくれ」

と夫に言い渡され、それが悲しくて、それは夫の思いやりだと分かっていても、自分が情けなくて随分と八つ当たりしてしまった。
病気と向き合う以外、必要とされていない人生。
そんなふうに考えてしまったのだ。

退院後1週間で抜糸。
その後1ヶ月ごとに血液検査。
3ヶ月ごとにエコーとCT検査を交互に受けた。

毎回血液検査はパーフェクトだった。

がんになると血液検査の項目に腫瘍マーカーというのが追加されるが、後から分かったことなのだが、私の場合、がん細胞があっても腫瘍マーカーは数値が上がらないタイプらしい。
なので、術後毎回の血液検査でどの数値も上がらず、他の数値もまったくの正常値で、油断してしまったのだ。

お腹の調子も気に留めることがないほど、快適に回復し、
どこかでがんを患ったことを忘れてしまっていたのかもしれない。

元々体力だけはあるので、薬も何も処方されてなかったこともあり、完全に有頂天になっていたのだと思う。

「私はがんに打ち勝ったのだ」と。

Mさんが亡くなってからバンドは活動を封印していたのだけれど、尊敬する方からの「バンドは辞めたらあかんよ」
との言葉をいただき、その言葉が背中を押してくれて、活動再開した。

復活してからのバンド活動は勢いを増していった。
この年2回のライブをこなし、翌年早々、某おやじバンドフェスティバルに応募していきなり優勝。

Mさんの命日4/19日にはゲストミュージシャンを迎えて追悼ライブも実現できた。バンドの合い言葉は

「漂えど沈まず」

有頂天になっていた 。


この頃、がんだったこと、ついこの間大腸がんの手術をしたことを忘れてしまっていたのではないだろうか。
有頂天になって浮かれていたのだ。

検査に引っかかったのが、2009年のGWを過ぎたころ。

左肺に転移が見つかる。
しかも大きくて2センチ近いものだった。

まさに奈落の底に落とされる、という表現がぴったりくる、そんな状況がやってきたのだ。

まず、本当にこの影はがんなのかを確認するためにPET検査を受けることを勧められた。

PETと呼ばれる検査はCTのもっと精密なものみたいで、がん細胞が光って写し出されるそうだ。とても高額な検査なのだが、がん患者の場合は一般の人より格安受けられる。それでも2万5000円というとても高額なものだったため、ためらいもあったが、仕方なく受けてみたら転移を疑われた左肺にしっかりと光る部分があり転移が確定的になったのだ。

すぐに呼吸器外科へ行くように言われて、また受診科が増えてしまった。そして消化器外科との連携で、治療や手術の計画が始まった。


抗がん剤治療。

2009年、この年の初夏から秋にかけて、この抗がん剤との付き合いに悩まされていくことになる。

そして、この時点でがんのステージが2から4になってしまった。

それを申し訳なさそうに告げてくれた担当医O先生にはここから先、本当にお世話になるのだった。

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