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episode4 建築を生業にした理由

前のエピソードはこちらのマガジンからどうぞ。

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まずはなぜ前項で書いたトレース技能に興味を持ったのか。
私は子供の頃から美術の授業が好きでした。ただ独創的な発想力はなかったし、いわゆる芸術家になれるタイプではありませんでした。
中学校の美術の授業で、レタリングの学習がありました。直線と曲線を組み合わせて描く美しい文字のアート。そのレタリングを使ってポスターを描いたりするのが得意でした。
図面を引くのもちょっとそれに似ていて、綺麗に製図する事が私には向いていると思いました。

トレース技能は二級のプロ以上の技能になると、建築、機械等の専門分野を選択します。
そこで私は迷う事なく建築を選択しました。
何故建築だったのか。
一番大きな理由は子供の頃の体験が大きいと思います。

小学校6年生、卒業を目前に控えた1月、日曜日のことでした。
休日の朝はのんびり、10時頃だったか、家族で遅めの朝食でダイニングテーブルを囲んでいる時でした。
弟が私の背後のキッチンの窓を示して「煙が見えるよ」と言いました。
隣家から出火していました。隣人はまだ寝ていたようで、起きて遊んでいた子供が誤って火を出してしまったのでした。
火元の家とその両隣、3棟全焼のかなり大きな火災でした

その半年後、その場所に新たな家が建ちました。
建築をお願いしたのは、母の幼馴染のご主人、工務店の社長でした。
打ち合わせで一家揃って工務店にも行き、参考にと数件のお宅に伺わせてもらったりしました。
何よりも設計図を見た時の高揚感!今でも鮮明に思い出せます。
前の家は弟と二人一緒の部屋でしたが、今度は小さいながらも一人一人別々の部屋が図面に書かれていました。出窓がいいな〜とリクエストしたら、高いからダメ、と言われて悲しかった事もいい思い出です。
そして建築現場も度々見に行きました。一番感動したのは上棟式の日です。
たった1日で柱や梁、そして小屋組まで、一気に建ち上がっていく様子は興奮しました!私が男だったら大工さんになりたいと思ったかもしれません。

話が火災の時に戻りますが、燃えていく我が家を目の前にして、父が声を上げて泣くのを聞きました。父がそこまで泣くのを見たことがなく、恐ろしくて父の顔を見る事ができず、私も目の前で燃える家を見て泣きました。
その当時どれほど理解したかはわかりませんが、一家の稼ぎ頭の男の人にとって、ようやく手に入れた我が家が焼失していくのを見るのはとても辛かっただろうと思います。
そして火災保険等の資金もあったのだろうと思いますが、すぐにまた家を建てた父を尊敬したものです。
一から我が家を建てるという事も、きっと父は嬉しかっただろうなと思うのです。やはり夢のマイホーム、なんですね。

トレース技能を習得した頃、退職して派遣会社に登録、トレース職で大手の会社に派遣されました。
その会社はダムの建設などを行っていて、土木図面を毎日手書きで書いていました。

当時はCADという製図システムが出始めていました。これからはこっちだな、と思いました。
その頃はCADオペレーターはまだまだ少なく、未経験でも派遣会社や派遣先企業でも積極的に教育してくれました。
その時は誰もが知る大手ゼネコン企業に派遣されて、1ヶ月の研修の後にRC(鉄筋コンクリート)造やSRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造の大きな建築物の施工図面をCADで書いていました。

そんな頃、元夫との間に子供を授かりました。
付き合いが長く、結婚のタイミングを探っていた頃ではありましたが、正直そこで仕事をリタイアするのは残念ではありました。まだ戦力にもなっていなかったので申し訳なさもあり
そんな私を派遣先の上司がランチに誘って下さった時の話が印象に残っています。
もう少し後だったら、自宅でも仕事が出来る環境があったんだけどね
今で言うテレワークの事です。実際はそんなにすぐ先の話ではなかったので難しかったとは思いますが、私が職場を離れることを残念に思って掛けてくれた言葉がとても嬉しかったのを覚えています。

その後、結婚、出産、社会復帰となり、再び建築業界に戻ったのですが、やはり私がやりたいのは身近な木造一戸建て住宅でした。
子供の時の、自宅が出来るワクワク感がずっと心に残っていたのだと思います。

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episode5 に続く。

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