6月23日、慰霊の日。
みなさまこんばんは、離島ライターあっきーです。
本日、6月23日は、沖縄県民にとって大切な日です。
「慰霊の日」。
沖縄全土で、慰霊の儀が行われる「沖縄だけの記念日」です。
もちろんこの多良間でも。
正午に黙祷をささげるため、慰霊の碑に集まります。
多良間にも、写真のような立派な「慰霊の碑」があります。
恥ずかしながら、昨日までどこにあるのか知らなかった私ですが…。
きちんと場所を調べて、正装して(全身黒または濃紺の服装)。
黙祷が始まる正午を前に、10分前に慰霊の碑に到着。
ご年配の方から、小学生・中学生まで。
けっこうな人数の方が、碑のまわりに集まっていました。
これでも、ご時世を考えて密を避け、少ない人数なんだとか。
そして、12時少し前。
「もう間もなくお時間になります」という司会の方の声。
あたりが、蝉の声しか聞こえないくらいの静寂に包まれました。
正午の時報。
「黙祷」の声とともに、1分間の黙祷です。
私ももちろん黙祷をしていたので、黙祷の写真はございませんが。
人の声が一切聞こえないくらいの静寂は、久しぶりでした。
黙祷の後は、式辞、焼香、平和の詩の朗読。
とても長く感じた1分間の後、式典が始まりました。
まずは、村長が、平和への願いを込めた式辞を読み、焼香。
それに続いて、戦没者ご遺族代表など、関係者の方々の焼香。
そして。
中学生代表による、「平和の詩」の朗読がありました。
学校の授業で戦争や、平和の大切さについて学んだという中学3年生。
それぞれの名前の漢字を交えて考えたという、平和への詩を発表しました。
とてもよく考えられている内容で、思わずぐっときてしまいました。
そして、そのあとには、小学生の代表も。
こちらは、平和への願いを込めた簡単な詩の朗読でした。
どちらも、学校の授業の中できちんと「戦争」「平和」について学んでいるのだなぁ、と思わされる内容でした。
そのあとも、各所関係者の方の焼香が続々と続いていたのですが。
実は、本日多良間は32度の炎天下。(梅雨明け済み)
恥ずかしながら、途中で日射病になりかけて頭がクラクラしたので…後ろ髪を引かれながら退散してきました。
帽子もかぶらず、テントの下にも入らずだったら…そうなります(反省)。
そもそも、なぜ6月23日が「慰霊の日」なのか?
そうなんです。私も気になって調べてみたんです。
ご存じの通り、日本で唯一の陸上戦があった沖縄ですが。
米軍が1945年の4月1日に上陸。
その後、敗戦濃厚となった日本軍の、司令官(大尉)が自決した日。
それが、6月23日だったそうです。(所説あるそうですが)
ただ、司令部が壊滅してもしばらくは戦争は続いていたようなので、この日を慰霊の日とするのに異を唱える学者さんもいるそうです。
沖縄の本土復帰前は、独自に休日を制定していたのですが。
復帰後は、本土の「国民の祝日に関する法律」に沿わなくてはいけなくなったため、「慰霊の日」を休日のままにすることができなかったんです。
そのため、1974年に沖縄県が「慰霊の日を定める条例」を制定。
これによって、この日は「沖縄県内の機関の休日」となったそうです。
「休日」といっても、すべての企業や機関が休みになるわけではなく。
基本的には、県庁や市役所・村役場・公立学校・公立病院など、県が管轄している機関の休日となっているそうです。
沖縄県内の一般企業は、休みにするかは裁量に任されているとのこと。
なので。
「休日」といっても、カレンダーは普通の平日になっているんです。
私も言われるまで全く気づきませんでした。
(私は役場勤務なので、今日は「休日」扱いになるのです)
まだまだまだ、沖縄や多良間について知らないことだらけ。
唯一の地上戦があった沖縄に、今、住んでいることを受け止めて。
これからも色々なことを吸収していきたいと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?