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夏の終わりのファンタジー(ショートショート)

夕暮れ時の海は、燃えるようなオレンジ色から、深い藍色へとゆっくりと変化していった。

浜辺には、ピンク色に染まった巻貝や、白いサンゴのかけらが、まるで夏の思い出のように散らばっている。

夏の終わりを告げるかのような涼しい風が、私の白いワンピースの裾を揺らし、少しだけ肌寒さを感じさせた。

私は、砂浜に腰を下ろし、波の音に耳を澄ませていた。少し離れた場所には、彼が立っている。

白いリネンのシャツとデニム姿の彼は、夕日に照らされ、まるで絵画のようだ。

いつもと同じように、物憂げな表情で水平線を眺めている彼の横顔は、どこか寂しげで、私の心を締め付けた。

彼は、夏が始まる頃に突然現れた。

まるで海の泡のように、ふわりと、私の目の前に現れた。触れると消えてしまいそうな、儚い存在。

私たちは、言葉を交わすことなく、ただ一緒に夕日を眺めるだけの時間を過ごした。

彼は、私に名前を尋ねなかったし、私も彼に聞かなかった。私たちは、名前のない、

夏の幻のような存在だったのかもしれない。お互いのことを何も知らないからこそ、気楽で、心地よかったのかもしれない。

日が沈み、空が暗くなるにつれて、彼の姿は薄れていく。

まるで、夜の闇に溶け込んでいくように、透明になっていく。消えてしまうことを、知っているかのように。

「さよなら」

そう呟く彼の声は、微かに聞こえた気がした。

けれど、波の音にかき消され、私にははっきりと聞き取れなかった。

もしかしたら、私の願望が作り出した幻聴だったのかもしれない。

彼は、夏が終わると同時に消えてしまった。まるで、最初からそこにいなかったかのように、跡形もなく。

残されたのは、彼と過ごした夏の思い出と、胸に広がる、少しだけ切ない気持ち。

私は、彼がくれた小さなピンク色の貝殻を握りしめた。

貝殻からは、かすかに潮の香りがし、彼の温もりが残っているような気がした。

それは、もう二度と会うことのない、彼との夏の幻の記憶。

来年も、彼はあの場所に現れるのだろうか。

それとも、これは永遠に失われた、夏の終わりのファンタジーなのだろうか。

波の音だけが、私の問いかけに答えるように、静かに浜辺に響き渡っていた。

彼のいない浜辺は、広くて、冷たく、寂しかった。


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