子育ての中のこんな地獄
・なんでオモチャを片付けないの!!!
・どうしてお友達を叩いたの!!!
・落ち着いて座って食べられないの!!!
・この前も言ったでしょー!!!
・もっと考えなさい!!!
子育て、育児、発達支援、療育、学習、教室
子どもと関わるすべての人に、必ず一度は思った事があるだろう考え
モグラたたきのように?
いたちごっこのように?
まるで子どもがわざとやっているのではないかと思いたくなるくらいだ。
人は分からない行動、理解できない行動には恐怖や怒りを感じる。
私たちが狩猟採集民族だった何十万年も前から脳は進化をしていないのだから仕方ない。
分からない事、理解できない事があると、野生の猛獣たちに食べられ生き残れない時代だったのだから。
しかし、今は狩猟採集民族時代とは違い、どう考えても安全な時代。
実際は子どもの行動が、分からない事もないし、理解できない事もないはずだ。
私たち大人は、これまで座る、歩く、食べるなど、様々な経験を何万回も経て、何も考えなくてもできるようになった。
例えば、『明日は会議だから、資料を印刷しておかなきゃ』と思いながら、ご飯を作ったり、お茶を飲んだりできる。
無意識で色々な事ができるようになってしまった分、大人は子どもの気持ちが分からなくなってしまう。
お箸の使い方や自転車に乗る練習を、どのようにやって、どのような感情だったか明確に覚えているか?
そんな時、冒頭のような考えを、つい口走ってしまうと
子どもは大人のことをどのように思うだろう。
どのような感情が湧くだろう。
コミュニケーションを取りたいと思うか。
本音で関わりたいと思うか。
江戸中期の出来事
あるお坊さんと武士のお話
1人の武士がお坊さんのところに来て言いました。
「地獄や極楽はあるのか?」
そのときにお坊さんは武士に言いました。
「武士ともあろう者が、死が怖くなったのか?そんなことを気にするとは全くの腰抜けだな」と言った。
その発言に腹をたてた武士は刀を抜いて切りかかろうとした瞬間
「それ、そこが地獄じゃ!」とお坊さんは言う。
その言葉で我に返った武士は、正座をして頭を下げ謝るが、その時に
「それ、そこが極楽じゃ!」と言った。
この話は地獄も極楽も自分の気持ち次第という意味の有名な話である。
しかし、見方を変えると、よく考えもせずに、一時の感情で行動に移すと取り返しのつかない事になるという意味にも取れる。
「もう!なんで片づけないの!?」
これを聞くと私たちは
”僕が片づけないから、お母さん(お父さん)は怒っているんだなぁ”
”片付けないといけないんだなぁ”
”この前もご飯の前に同じことを言われたから、今日はお片付けしておこう”
と分かったり、気づけたりする。
私たち大人が無意識に状況や言葉、動作を同時に処理することができ、また同時に使うこともできる。そのため、それらには色んな意味が含まれており
子どもには分からない事が多い。場合によっては、動作だけで察することが出来る。
しかし、一部のお子さんには
「もう!なんで片づけないの!?」と言われても
”片付けない理由を聞かれているだけなのに、なんで声が大きいんだろ?”
”なんで怒っているんだろ?”
”どうしたらいいんだろ?”
となるお子さんもいる。
子ども側からすると、ただただ大人から感情をぶつけられるだけで
いい迷惑だ。
大人の一時の感情で子どもを怒鳴る、怒る、手を上げるなどをすることで
いとも簡単に子どもとの信頼関係が崩れる。本音で語れない関係性を作っているのは子どもの言葉の問題ではなく、大人との信頼関係だったりする。
また、感情をぶつけられるたびに『自分はダメなんだ』となると
自己肯定感を下げる事にもつながる。
子どもは大人の複雑な気持ちを理解することは難しいが、
大人は子どもの気持ちを思い出すことはできる。
もしくは想像することは可能である。
今、目の前で支援しているお子さんが困っている事、辛いと感じている事
楽しいと思う事を、本音で共有できる信頼関係を築けるように努力したい。
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