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小説 とんでもキャンパスライフ②【美女とビーバー】

 中学校や高校と違い、大学というのは自分で授業を選択することができる。
 しかしいざ選ぶとなると、どの先生の授業を受けたらいいのかよく分からない。
 そんな時に頼りになるのがアヤメ荘に住む先輩たちだ。
 頼れるおかんタイプの北夏美先輩と、アンニュイな雰囲気を漂わせる浦本ひより先輩。
 とても対照的な二人だが馬が合うらしく、二年になると大抵一人部屋のカエデ荘に引っ越したり、門限がない別の下宿先に引っ越したりする人が多い中、アヤメ荘で二人暮らしを続けていた。
 先輩たちの部屋には、既に他の一回生二人が来ていた。
 一人は同じ学科の杉沼志穂。顔が柴犬に似ている愛嬌のある娘だ。
 もう一人は英文学科の江藤希里だ。お嬢様ヘアがよく似合う清楚な娘だ。
 私は後々、希里と一番行動を共にすることになる。
 志穂とひより先輩は何だか話が盛り上がっていた。
 
「……この前は難波で声かけられた男とホテルですごしてさ」
 
 たばこを吸いながらそんな話をするひより先輩。
 二回生なので浪人していない限り年は二十歳のはず……だけど酸いも甘いも経験した三十代の貫禄があった。
 
「マジでですか!? 先輩。それでどうなったんですか。その男とは」
 
 やや興奮気味にくいついている志穂。
 ひより先輩はクスッと笑ってタバコの煙を噴いてから気だるそうな口調で言った。
 
「その男とはそれっきり。お互い体の関係を楽しんだだけだから」
 
 その会話を聞いた愛実は露骨に顔を顰めた。惚れっぽい彼女であるが、基本真面目な性格だ。

「正式に付き合ってもいないのに、そんな関係になるなんて考えられない……」

 二人には聞こえないよう小声で私に言った。それに関しては私も同感だった。
 同じ大学に通っているというのに、ひより先輩は私たちとは住んでいる世界が違う感じがした。
 ひより先輩と志穂がアダルトなトークで盛り上がっているのは放っておいて、私は夏美先輩に授業の先生が誰がいいか尋ねた。
 
「それなら、カニゾーとヘリポートとカンカンがいいね」
 
 全員、大学の先生のあだ名である。カニゾーは顔がカニに似ていて名前が謙造なのでそう呼ばれている。ヘリポートは、頭の頂が円形にハゲている為、カンカンは名前が寛二だから、そういうあだ名がついたらしい。

◇◇◇
 
 私は先輩のアドバイスに従い授業をとることにした。
 紹介してくれた先生は全員単位が取りやすい先生だ。
 私が思う“いい先生”というのは、分かりやすい授業をしてくれる先生や、面白い授業をしてくれる先生だという認識だったので、少しばかり当てが外れてしまった。
 
 ただ現実問題、あまりにも授業や課題が多い一、二回生の時は、簡単に単位くれる先生はとても有り難い存在だった。教えてくれた夏美先輩には感謝である。

 単位を取りやすい先生の一人であるカンカンこと、心理学の田村寛二先生はよく休講になる先生だった。
 授業をせずゴルフの打ちっぱなしに行っているという噂もあった。
 まん丸いフレームの眼鏡をかけ、二本の前歯が出ている丸顔で小太り。動物のビーバーに似ている。
 
 たまにカンカンの授業があった時は講義を受けるものの、何を言っているのさっぱり分からなかった。
 口調に抑揚がないし、滑舌が悪く聞き取りづらい。板書も書かないので、びっくりするくらい講義内容が頭に入って来ない。
 その日は一緒に授業を受けていた希里と共に、カンカンの講義をBGMに爆睡した。
 しかも一番前の席で堂々と寝てしまったのだった。

 ◇◇◇

 翌週。
 カンカンの授業が休みだったので、私と希里は空いた時間を利用してカフェで食事をすることにした。
 校門の並木道を歩いていた時、希里はふと思い出したように言った。
 
「うちのお父さんとカンカンって大学時代の友達らしいんだよね」
「へぇ、そうなんだ」
「この前お父さんがカンカンに質問したみたいなんだよね。娘は授業を真面目に受けていますか?って」
「げげ、そうなんだ」
 
 おいおいおい、私も希里も、最前席のど真ん前で爆睡していたがな!
 思い出した私は顔を引きつらせた。
 授業中、爆睡していたのが希里の親にバレたのかと思ったが。
 
「カンカン、娘さんは真面目に授業受けてるよって答えてたって」
「嘘っ!? 私も希里もガッツリ寝てたじゃない!?」
「そもそも私、大学入るまでカンカンに会ったことなかったし。あの先生、出席も取らないから、私がお父さんの娘だって知らないと思うよ?」
「いい加減だな……カンカン」
 
 そんな話しながら校門を出ていこうとした時、一人の女性がこっちに歩み寄ってきた。
 うわ……まるで女優さんのように綺麗な人だ。
 年齢は三十歳くらいか。
 ぱりっとした白いパンツスーツが決まっていて、見るからにバリバリのキャリアウーマンだ。
 しかしとてつもなく色気があった、胸は推定Hカップくらいはあるのではないだろうか?
 ……もう劣等感や嫉妬など抱きようがない。漫画でしか見たことがない完璧なプローポーション。
 当然、通りかかる男子たちも彼女に目を奪われていた。
 
「ちょっといい? そこの学生さん」

 うわ、声かけられた!!
 私と希里は顔を見合わせてから、美女に近づいた。

「田村先生はどこの講義室で授業をしているか分かるかしら?」
「田村先生?……あ、実は田村先生って二人いるんですよ。下の名前も教えていただけますか?」
 
 私が言うと彼女はニコリと笑う。
 笑顔が素敵すぎて、女でもドキッとしてしまう。
 
「田村寛二先生よ。今日は授業があるって聞いていたからここに来たのだけど」
「その田村先生だったら休講ですよ」

 希里が答えると、美女は少し驚いたように目を見張った。
 
「あらやだ。また打ちっぱなしにいったのかしら? あの分じゃ、また約束忘れているわね。本当にいい加減なんだから」
 
 美人はその場にはいないカンカンに、あきれた表情を浮かべている。
 私は恐る恐る尋ねた。

「あ……あの田村先生に用事があるのですか?」
「ええ、田村先生とは高校の同級生でお友達なんだけど、今日会う約束をしていたのよね」
 
 友達!?
 この美女とあのビーバーが!?
 
「えーと、学生課に尋ねてみましょうか? 田村先生のこと」
「いいわよ。ちょっと彼が教えている大学も見てみたかっただけ。親切にしてくれてありがとう。学生さんたち」
 
 そう言って手を振ってから去って行く美女からは、ほのかなバラの香りが漂った。
 希里が思わず呟く。
 
「ロクシタンの女……」
「え?」
「いや、ちょっと言ってみたかっただけ。あの人が使っている香水、ロクシタンのバラの香りだと思うよ」
「希里、詳しいね」
「ハンドクリームなら持っているからね。香水は高いからなかなか手が出せないんだけど、テスターで嗅いだことはあるから」
「ふうん。なんかいい匂いだったなぁ」
 
 そんな話をしていたら、並木道の向こうから猛ダッシュでこっちに駆け寄ってくる男がいた。こち亀の両津さん似の飯田君だ。
 
「今の誰だ!? 君らの知り合い!?」
 
 ……飯田君、美人好きだもんね。すごい鼻息が荒い。
 私は彼の勢いに少し引き気味になりながらも答えた。
 
「私たちの知り合いじゃないよ。何かカンカンのこと尋ねられた」
「カンカンって、あのカンカン!? あの美人とどんな関係なんだ!?」
「えっと……友達で、高校の同級生だって言ってた」
「高校の同級生!?…………え、カンカンって確か、五十過ぎてたよな?」
「そうだね。私のお父さんと同級生だから」
 
 飯田君の疑問に希里が答えてから、全員ハッとした顔になる。
 ということはあの美女、五十は過ぎているということ!?
 
 「「「…………」」」
 
 その日、私たちは初めて、テレビ以外で本物の美魔女を目撃したのであった。

「お父さん言ってたけど、カンカンの周りは昔から女性が絶えなかったんだって」
「何ぃ!?   あの丸眼鏡ビーバーのどこがいいんだ!?」

   飯田君は頭を両手で抱え、愕然とする。
 
「昔はイケメンだったとか?」 

  私が尋ねた所、希里は首を横に振る。

「お父さんと一緒に写ってる写真見たけど、今と変わってなかったよ」
 
    
 ……実は私には見えていない魅力があのカンカンにはあるのだろうか?
 その後、講義を受けているとき、私はカンカンを注意深く観察することにした。
 しかしカンカンは相変わらず何を言っているのか分からない、小太りなビーバーにしか見えなかった。
 そして、最初は注意深く観察しても、最終的にはやっぱり寝てしまうのがカンカンの授業なのだった。
 
 希里のお父さん情報によるとカンカンは実家がかなりのお金持ちらしい。しかもカンカン自身、事業家でかなりのやり手だという。
 お金持ちなら女性が寄ってくるのも分からんでもないが……しょっちゅう授業を休講にしてはゴルフに行っているし、美女との約束は忘れるし、たまに授業があっても何言っているのかよく分からないあの先生が、やり手の事業家であることがいまひとつ信じられなかった。
 
 人って表面を見ただけじゃ分からないんだな……と思いながら、私は今日もカンカンの授業をBGMにうとうとするのだった。

                        美女とビーバー 終
 
 

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