"枝葉の話"に走らないために
梅雨ですね。6月は我が社の年度末。。。
間接部門は普段は日陰のストレスが
ありますが、この時ばかりは数字の
プレッシャーがないありがたみを感じます。
振り返るとこの一年、色々な提案書や
調査資料を作っては提出してきました。
一回で頷いてもらえることなどまずなく、
毎度、心が折れながら2回3回と修正を重ねています。
とりわけよく指摘されたのが、
それは枝葉の話だよ、ということ。
(weblio辞書より)枝葉とは:
1. 枝と葉。
2. 本筋や中心から離れた重要でない部分。末節。
ということで、
「枝葉の話」という言葉を初めて聞いたという人や、積極的に言ったり書いたり提案したりしているのに、なぜか取り合ってもらえないという経験をしている人に、この記事が参考になれば嬉しいです。
以外に、周りにとっては射程圏外の意見を言っている時って、特に指摘もされずスルーされるので
気づかないんですよね。。。
さて、そのように指摘され、
私が考えていたのは枝葉の部分だったのか!
(目を見開きつつ)と思うものの、
正直、幹の部分が何かわからないことが多いです。(わかっていたなら間違えない)
いいかえれば、「課題をつかむ力」不足
といったところでしょうか。
幹ってなんだろう?と考えて、
より大きなテーマや、そもそもの根本原因を
俎上に上げようとしていた時期もありました。
例えば、
「今回XXさんから講座の進行について
クレームがあった」に対して、
上司から、「どうすればいいと思う?」
と聞かれたら、
「XXさんはどういう人か?
彼だけのクレームなのか、他にもそういう意見の人がいるのか、運営担当の見解はどうか?」
といった事実を確認したうえで、
xxさんと会話をするのが正解の場合、
そこを飛び越えて、
「自社の講座の運営全体を見直すべきです!」
みたいな意見を言ってしまう、といったかんじです。
もはや自分ひとりでは処理できないサイズに
課題を拡大解釈してしまうのは、おそらく私の思考のクセです。
ただ、普通、「幹の部分を考えなさい」と
言われたら、より抽象度をあげて
考えようとするのではないかと思います。
それでもずれてしまう場合は、きちんと事前に確認すればよいのですが、大体は、「幹の部分の認識は共有できている」前提で上からの仕事は降ってくるので、
「今回のこれをやるにあたって一番大事なことはなんですかね?」と毎回聞くのも、自分で考えていないヤツだと思われてしまいそうです。
じゃあどうすればいい?
関係者のタイプにもよるので一概にはいえないと思いますが、
一案として、
意思決定者はだれか?
という要素を考えるといいと思います。
これを見る人が一番気にしていることは何か?
上司が知りたい部分を汲み取らずに
抽象度を高くしてしまうと、
逆にそれが、「枝葉の話」と
受け取られてしまう場合もある。
意思決定者からすると、
大事だけど、今じゃない
というかんじでしょうか。。
大きい範囲でとらえると、引き受ける範囲も広くなるということなので、
貢献精神や責任感が強い人ほど、陥りがちなパターンかも知れないですね。
上司は、2時間でできるボリュームの仕事を頼んだつもりなのに、1日待って、「もう少し時間を下さい」などと言われると、
「なんでだろう?」と
ハテナがいっぱいになるらしいです。
自分の仕事をきちんと評価につなげるために、今日も「幹の特定」に奮闘している、
事務職あきづきでした。