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泣血哀慟して詠める歌

立秋までの一か月を「晩夏」と呼ぶ。
俳句では夏の季語、
夏の終わり、秋の気配が感じられる頃のことをそう呼ぶ。
読みは「ばんか」
「挽歌」と同じ読みになる。


秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも


歌聖 柿本人麻呂の挽歌。
「柿本朝臣人麻呂妻死し後泣血哀慟して作る歌」とある。

言葉の音とは不思議なもので、
意味が違う二つの言葉が同じ気持ちを心に残すことがある。
終わりを見る眼。
事の終わりを見つめ、そこになにがしかの思いを残す。
季節への惜別も
人への哀切も、
言葉の音の中で繰り返し私たちに響いてくる。

柿本人麻呂は儀礼歌人の一面もあり、
政治上重要な人物への挽歌を数多く残している。

その中で、真に自分の感情を露わにして謳い上げる歌は
やはり強く心を揺すぶられる。

万葉集の挽歌として
有間皇子、大伴旅人の歌と共に今も伝えられている。



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