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『フラメンコを教える仕事の素晴らしさ!』

私がフラメンコを教え始めてから、今年で約17年が経ちました。
人に物事を教えることは、とても素晴らしい仕事だと思えるようになってきました。

17年間、フラメンコを教えてきた中で、過去にとても印象的だった生徒さんが2人いました。
1人目の方は、私と同じ時期にフラメンコを始めた方でした。
その方をMさんと仮名させていただきます。
Mさんは身長が高く痩せ方体型で、口数が少なく大人しい人でした。
レッスン中は、私から1番遠く離れた場所でいつも黙々とレッスンを受けていらっしゃいました。
私はMさんと1対1で話した記憶はなく、いつも挨拶程度しか言葉を交わしませんでした。
存在感が薄くて消極的なイメージだった彼女が、ある時に意外な発言をしていた事を人伝に聞きました。
当フラメンコスタジオは2004年に設立しました。
設立当初は、生徒数が約20名ほどの少ない状況でした。
フラメンコ講師は私と母親の2人だけ。
会社の社長である母親の名前で設立した当スタジオの生徒さん達は、母親にフラメンコを習いたいと入会されて来ました。
母親のクラスは、いつもたくさんの生徒さんで賑わっていましたが、私のクラスはいつも3〜5人程度の少人数でした。
そんな人気の無かった私のクラスレッスンを、いつも熱心に受けてくださったのがMさんでした。
口数が少なく大人しかったMさんには、唯一仲が良かったAさんと言う友人がいました。
Aさんは母親の大ファンでした。
母親の大ファンだったAさんは、ある時Mさんにこう言ったそうです。
「Mさん、エリコ先生(母親)のクラスを受けた方が良いんじゃない。一緒に受けようよ!」と。
すると、Mさんは「私はアキちゃんのクラスが良いの!!!」と強い口調で反発してきたそうです。
Aさんが言うには「普段から大人しくて口数の少ないMさんが、あんなに強い口調で反論してきたことに本当に驚きました!」とおっしゃってました。
その話を聞いた時、私はMさんに対して「この人は大切に教えてあげたい!」と思いました。

当フラメンコスタジオを立ち上げてから、初めての発表会が決まった時のことです。
母親は上級クラスを、私は中級クラスを担当することになりました。
中級クラスの曲は「ティエント」でした。
当初、私のクラスは5人の生徒さんがレッスンを受けてくださっていました。
フラメンコスタジオ設立から記念すべき第1回目の発表会と言う事もあり、気合いを入れていた私は発表会のことを視野にいれながら「ティエント」の振付、構成、演出、フォーメーションや衣装を考えながらレッスンを進めていました。
5人の出演希望者のうちにMさんもいらっしゃいました。
5人の出演希望者のうち、3人の方は中級レベルに相応しい踊りをされていたので、その3人を中心に構成や演出、フォーメーションを考えていました。
残念ながら、Mさんはその3人の中には入っていませんでした。
しかし、発表会の申し込みが始まった矢先、期待していた3人のうち2人の方が同時に妊娠が発覚し、発表会出演を断念されました。
私はしばらくの間、戸惑い続けました。
中級レベルの踊りには程遠かったMさんともう1人Sさん、唯一中級レベルに達していたHさんの3人だけのレッスンが続きました。
私は、どうすればこの2人を短期間でレベルアップさせてあげる事が出来るかと悩みました。
まずは、全員に1人での自主練習をするように伝えました。
週1回のレッスンだけでは到底間に合わないと判断し、レッスン以外に週2〜3回の自主練習を行なうように伝えました。
1人での自主練習内容も細かく指示をさせていただきました。
すると、MさんとSさんが数ヶ月間で、見る見ると上達して行きました。
結果、リハーサルも本番も大成功を収めた3人は、入門クラスや初級クラスの方から憧れられるほどに成長してくださいました。
発表会の後、Hさんからこんな嬉しい話を聞きました。
「Mさん発表会が終わってから、めちゃくちゃ性格変わりましたよ!本当によくしゃべるようになって明るくなりましたよ!」と私に伝えに来てくれました。
私は本当に良かったと思いました。

そして、過去に教えてて印象的だった方が、もう1人いらっしゃいます。
残念ながら、その方はもうこの世にはいらっしゃいません。
20年程前に他界されました。
彼女はKさん。
KさんもMさんとよく似た雰囲気の方で、入会当初から口数が少なく大人しい方でした。
KさんもMさんと同じく、レッスン中はいつも後ろの端の方で黙々と大人しくレッスンを受けていらっしゃる方でした。
Kさんは、当フラメンコスタジオに入会した時は、熱心にレッスンに来られていたのですが、ある日を境にレッスンに来なくなりました。
私は「Kさんがレッスンに来なくなったな〜。このまま、辞めちゃうのかな〜」と思っていました。
けれど、ある時ひょこっとレッスンに来てくれるようになりました。
私は嬉しくて「どうしてたんですか?」と声をかけると「仕事が忙しくって•••」と苦笑いをしながら話をしてくれました。
Kさんは、しばらくの間レッスンに来てくださっていましたが、半年ほど過ぎた頃から、またレッスンに来なくなりました。
けれど、しばらく経った時に、またレッスンに来てくれました。
嬉しい反面、Kさんが以前よりも痩せていることに驚きました。
その後、Kさんは数回レッスンに来ては長期間お休みされるのを繰り返されました。
Kさんはレッスンに来られる度に、どんどん痩せていきました。
それから、約1年以上の間レッスンに来られなかったKさんが再びレッスンに来られた時、私はKさんの異様な痩せ方に驚きを隠せませんでした。
レッスンでブラソの練習をしていた際に、Kさんの体を間近に見た時、Kさんの肩の骨や腕の骨の輪郭がハッキリ見えるほど痩せていて、マノの練習時も指の骨の輪郭が一本一本ハッキリ見えてほど痩せておられました。
異様な痩せ方をしていたKさんに、私は何て声をかけて良いか分かりませんでした。
ただただ、気の毒だと思いました。

Kさんは、その日を境にレッスンに来られなくなりました。
そして、約1年ほど経ったある日、私はいつも通り仕事に行くと母親が紙袋を私に出しながら「昨日、Kさんのお母さんが来たよ。Kさん、亡くなられた。」と言われました。
私は、あまりのショックに頭が真っ白になりました。
それから、Kさんが仕事のストレスで長い間、体調を崩されていたこと。
体調が悪化して倒れた後、病院をたらい回しされて大学病院で長時間待たされていた時に亡くなったことを聞きました。
そして、Kさんのお母さんが「Kは、いつもしんどそうに仕事に行ってました。家でもどんどん話さなくなり、暗い顔をするようになっていきましたが、フラメンコのレッスンから帰って来た時だけは、いつも明るい顔をして楽しそうに話をしてくれました。Kが亡くなる時の最後の言葉が、ここのフラメンコ教室の月謝が未払いだから、お母さん払って来てだったんです。Kの遺言通りに月謝を払いに来ました。」と、おっしゃって帰って行かれました。
私は、この話を聞いてから自分の仕事の責任感や価値観が一瞬にして変わったのを覚えています。

自分の仕事は、ただ踊りを教えるという単純なことではない。
1人の人の性格をガラリと変えれる力がある。
1人の人に幸せな時間を与えることができる。
人がこの世を去る時に最後の思い出として、自分の存在を思い起こしてくれる事が出来るんだと思いました。
本当に素晴らしい仕事に就けた事、素晴らしい2人の生徒さんに出会えた事は、今でも深く感謝しております。
教える側も教わる側も、成長し刺激を受け合える素晴らしい時間と空間と思い出に感謝しかありません。

どんなに才能がないと言われても、どんなに可能性がないと思われても、諦めずに努力し続けること、フラメンコが大好きだと思える強い思いかあれば、必ず素晴らしい未来が待っていると思います。
実際に、今レッスンで教えている生徒さん達が、それを証明し続けてくださっています。

フラメンコを教えているつもりが、いつの間にか生徒さんから教えていただいてる自分の立場に、心から感謝しています。
フラメンコを通して、生徒さん1人1人のテクニックや技術だけでなく、そこから派生する考えや思想、行動や言動、精神面や未来への希望が良い方へと発展して欲しいと願うばかりです。

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