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台湾都市部の「騎楼」を歩く
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台湾の「騎楼」とは日本海側で見られる雁木造の鉄筋コンクリート版で「亭仔脚」ともいわれます。 雁木の場合は歩道部分はひさしだけですが騎楼の上はがっつりビル本体なので通りに面して太い柱が並ぶことになります。
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騎楼の幅は歩道に十分な幅3メートルほどもあり、通りに面した並びのすべてのビルが騎楼を設けるので雨や日差しを避けることができ、同時に自治体が歩道を用意しなくても歩行者の安全が確保できます。 ビルの所有者も道路ぎりぎりまでビル建設が可能になります。
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始まりは日本統治時代まで遡るのですが、現在も続いているので理にかなった構造といえます。 ただし、マナー良く使っていないこともあり露天商が使ったり、駐車したり、ビル側の商品を置いたりと、スムーズに歩けるとは限りません。
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太平洋戦争後も騎楼が維持された理由の一つは「空襲から歩行者を守る」ことで、海峡を挟んだ緊迫感の物証であると同時に、太平洋戦争時に米軍による台湾大空襲の記憶によると考えられます。
The News Lens Japanによると第二次世界大戦中に台湾に対して行われた爆撃は15,908回。投下された爆弾84,756個、焼夷弾35,463個、投下された爆弾の合計は120,219個、総重量20,242トンとあり、台北から高雄まで主要都市は全て空襲に遭っています。
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台南の林百貨店の屋上には吹き飛んだ神社が残っています。
2024年も7月22日~25日に30分ほどの防空演習がありサイレンとともに市民は一斉にビルに避難し、ガス・電気を遮断し明かりを消す処置を取っています。
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整理してあれば快適な歩道ですし、交通事故からも守られます。 新旧のビルをまたぐと境目が段差になりがちなのが難点です。
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元々は車道と歩道がスッキリ分かれていたのですが自家用車が増えすぎて残念な駐車も増えています。
構造上、最下層に耐震壁が作れないのが日本人としては不安なところですが、カオスな街に奇妙な統一感をもたらしているのも確かです。