自然に癒される。とか 自分軸で生きる。とか 幸せは自分が決める。とか 色々わかって来た61歳🌱
言葉としてフレーズとしてはなんとなーくわかったフリして生きて来た。
でもね
これだけ色々な事を経験したから
見えてきたんだ
その言葉の本当のところはどーゆーことか。が。。
辛くて
悲しくて
不安で
心配で
真っ直ぐ立てなくなって
天井が歪んで
でも
頑張らなきゃならなくて
しっかりしなくちゃならなくて
誰にも頼れなくて
本当は
頭をポンポンってして
エライね もう大丈夫だよ
安心して
って そう言って欲しかった。誰かに。
誰でもいいから誰かに。
ぜーんぶ終わったら
見えてきた
誰かに。。。じゃなく
自分で自分を抱きしめてあげればいいって事。
人に求めなくても
自分がいるんだ。
人に求めると
その人が現れるまで満たされない人生が続くんだ。
ずっとずっと自分が求める人が現れるまでは
満足しないのだ。
だから
人を基準にしない。
自分を拠り所にするんだ。
それが自分軸って事。
幸せは自分が決めるって事。
幸い
私は
自分の事は嫌いじゃない
割と好き
自己肯定感はある
これは
否定的で愚痴っぽかった母親よりも
大きな事を言って、ざっくばらんだった
父親に可愛がられたのが良かったようだ
私は三姉妹の中間子。
姉とは2つ違い。
妹とは8つも違う。
姉が生まれて
母親は勿論可愛がった。
姉は大人しくて綺麗な顔立ちをしていた。
次は男の子、、と望んだようだが
私が生まれた。
姉は髪を長くしていて
私はいつもショートカットだった。
そして
家でジッとしているよりも
外で走り回って遊ぶのが好きだった。
そんな男の子みたいな私を
父親は良く連れて歩いてくれた。
家族4人で出かけると
姉は母親と手を繋ぎ、
私は父親と手を繋いでいた。
母親は
出来ない事は最初からしない。
私が
何かしようとしても
あんた出来るの?と言われた。
父親は
何でもやれ
何になりたい?
医者か?
母親はそれを聞いて
苦い顔をしていた
だから
幼いながらも
ああ
なれないんだな私、、と感じた。
姉は大人になってほぼ引きこもりだ。
結婚して子供も2人いるが
この数年は
買い物にもひとりでは出かけられなくなったと。
困らないからだ。
義兄が車で買い物も一緒に行くし
姉は自分が頑張らなくても
生活出来る。
私は違う。。
誰も助けてはくれない
助ける側だから
頑張って来た。
その力はきっと
父親から貰ったのだと今思う。
父親はもう大分前に74才で亡くなった。
母親は今90才。認知症でグループホームにいる。
母親はずっと扶養されていたから
今ホームの費用も全て父親が残してくれた遺族年金で賄えていて娘である私達は金銭面での負担は無い。
有り難いことだ。
父親は癌で何度か入院したが
入院する時も自分で荷物をまとめ
退院した時には生命保険の給付申請など
手続きは全て自分でしていた。
最後に入院する時には
車も処分して、、、
私は
そんな
父親に似ているのだ。。。
今
ひとりで暮らしているけれど
独立している長男が困らないように
私は出来る事は全てしておこうと思っている。
終活ノートも
2年前に書いた。
今年 夫が亡くなったので
また
更新しようと思う。
幸せは自分が決める。
多分
今は
幸せだ。
平穏で穏やかな朝を毎日迎えている。
心配な事も不安な事も何も無い日々。
それが幸せだと言う事を
ようやくわかった。。。
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