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自分が料理をはじめて

 はじめての料理は卵かけご飯だった。作ったのは小学校一年生。包丁を使わずに作れるからと、親が台所に立つ許可をだしてくれた。卵を落として、母が少し怒り、父は笑っていた。小さいお椀に少しの卵。そして、少しの味の素。それが僕の思い出である。幼少期はお金がなかった。せがんでおもちゃを買って貰ったことはなかった。でも、なんだかんだ幸せだった。学業と食事だけは、父と母は絶対に保証してくれた。

 幼少期は勿論のこと、中学校のときなんて、ご飯があるのが当たり前だった。今思えば、有り難い限りだが、当時は一切合切気がつかない。その瞬く間に過ぎ去った時間を今では懐かしいとすら思えてしまう。朝昼晩、すべてが平均的にご飯はそろっていた。幸せは失ってから分かるというけれど、なくなると、しっかり骨の髄まで染みる。有り難い話だ。
 
 その幾ばくかの幸せを失ったのは数年前。僕が成人してからだ。子供という身分に甘えられなくなった僕は、家事をはじめた。
 
 僕にとって家事とは料理だった。何故なら洗濯だったり、その少々のことは学生の時もやっていたし、「独り立ちしたときにキツいのはいやだなあ」と思い、親に教えて貰っていた。なので、それらは意外と簡単だった。だが、料理というのは習っていなかった。しかも、難しいという印象が圧倒的にあったし、いろいろな品を作らなければならないというイメージがあって、手を付けていなかった。世の中には「料理は一品でいいんだよ」という本がある。それらを参考に(勿論、Youtuberも参考にさせて頂いた)家族の料理を作るようになって数年。やはり、料理は大変だった。慣れても、辛いものだった。どれだけ手を掛けようと、人の喜び方は変わらない。それに洗い上げの汚れた皿は案外、僕の精神を削るには十分だった。
 
 ほんとうに両親には頭が上がらない。ここまで育ててくれたことも当然だが、毎日、弁当を高校三年間作り続けてくれたことも。すべてにおいてありがたい。先日、親に「迷惑掛けたね」と言ったら、「お前は何時までも子供。50歳になっても、何時までも子供。3歳までのあの無垢な笑顔で、十分、親孝行は果たしたのだから、適当に幸せになれ。それだけでいい」と言われた。言ってみたいものである。

 その後の母のお味噌汁は美味しかった。

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