アニメ映画「銀河鉄道の夜」トークショー付き上映(なぜ猫なのか、について等)
2024年10月5日 池袋の新文芸坐さんにて
杉井ギサブロー監督とアニメスタイルの小黒さんのトークショー付き上映に参加してきました。
普段の新文芸坐さんのTwitter(X)ではぎりぎりまで事前告知はなく、映画館にあるチラシでしか記載がなかった特別プログラム。先月(9月)に神保町で「銀河鉄道の夜」を見た時に、たまたま新文芸坐さんの「しねまんすりい」を見ていたお陰で事前に開催を知ることが出来た。これもご縁。
ここではトークショーの内容を簡単に覚えている範囲で記載しておく。
フィルム上映について
当時の35mmフィルムをそのまま使っての今回の上映。事前に心配していたほどの劣化もなく、音はところどころ「ブツッブツッ」というのがあるものの、退色は殆どなかったということに監督も一安心していた様子。
まず客席に向かって質問。
「この作品を映画館で見ることが初めての人?」
8割くらいが手をあげていた?意外だった。当時見ていた(当時は子供な)大人たちが結構参加していると思ったんだけどな。
そして
「この作品自体が初めて見ると言う人?」
これまた結構な人数……6割くらい?いたかも。これも意外。この作品だからこそもう1回見たくて見に来たとかじゃなく、初見がこんなにいるとは。
小黒さんから「当初はこの映画の話を断っていたということですが?」と話題を振られ、ぽつりぽつりと当時を語りだす監督。
プロデューサーである田代さんがある日、銀河鉄道の夜を映像化しないかという話を、杉井監督にもちかけてきた。
当時の杉井監督における宮沢賢治のイメージは、かつて学校で「雨ニモマケズ」を唱和することを推奨されていたのもあり、校庭にあった二宮金次郎像と同じように「ちょっとお堅い人で、自分とは違う人間」という距離感を感じていたそう。宮沢文学も、言葉使いのせいもあってとっつきにくく、身近なものではなかったという。この映画の話が持ちかけられた後、宮沢賢治の研究者である天沢さんに話を聞きにいったという。
「銀河鉄道の夜」は賢治が発表したわけでなく、亡くなってから彼が持ち歩いていたカバンの中から原稿が見つかった未完の作品。
改稿がなんどもされ、執筆されたインクの分析から第1次稿から第4次稿まであり、最初の頃はとても読みやすい作品だったのに対し、改稿するごとに物語は抽象的になっていったという。
当初はブロカニロ博士が出てくる話だったが、第四次稿では博士の部分はばっさり切られている。
冒頭の教室でのシーンも第四次稿で書き足された。
杉井監督なりの解釈で、これは(作者が改稿を重ねるにつれ)抽象的になったのは、この作品のテーマというものに対し、人が(これが正だと)解釈することではなく「感じる」ことを望んでいるのでは?と受け止めたそう。それゆえに、この作品を映画化(具体化)するということは、作者の意に反する事になるのだろうと思って、当初は映像化を断ったという。
断ったことで、監督の中ではもうこの話は終了していて忘れ居たが、再び田代さんから打診があり、その時にますむらひろしさんが猫で銀河鉄道の夜を描いているということを知らされたよう。
「猫ならいい」と監督は最終的に了承した。
人間では具体化しているが、猫という性別すらこえた存在で描くことで、賢二の表現したかった「感じて欲しい銀河鉄道の世界」を壊さず映像化できるのでは?という可能性を見いだしたとのこと。
この映画の公開当時も、何度も「何故猫なのか」と聞かれたそう。
監督からすれば、人間でやるなら映像化はありえなかった。
このアニメ映画は原案はますむらひろしさんになっているが、あくまでも発想ベースであり、この映画のキャラデザを担当したわけではない。
なので、ますむらさんの描く銀河鉄道の夜では、登場する猫は全部衣服を身に着けているし、顔も違う。
監督曰く「キャラデザは全て(作画でクレジットされている)江口摩吏介くんだよ」とのこと。
(原案とされつつもキャラデザに乖離が見られたのはこのせいか、と今回のトークで個人的に納得)
(人間の世界ではないので)出てくる言語も英語でなくエスペラントで(造語)で、誰が見ても読めない。
事前募集した質問から、「なぜ途中で人間が出てくるのか」と。
杉井監督いわく、2つ理由があって、「猫しか出てこないと猫映画と言われてしまう」ということ。
そして「(船が沈むあのシーンは)タイタニック号の事件で、宮沢賢治もとても関心をもっていた」と。
小黒さん「猫で描いてしまうと茶化しているように見えてしまう?」
杉井監督「あれは人間の事件なんです。だから人間で描くもの」と。
登場人物を猫にすることで、宮沢賢治の弟さん(当時はご存命)の許可がなかなか下りなかったとのこと。アニメなどに詳しくない弟さんからしてみれば、アニメは子供が見るものという思いもあった様子。
最終的に研究者の天沢さんなども尽力してくれて、許可がおりたそうで。
銀河鉄道の夜はさまざまなメディア化はしているが、そのどれもいまいち成功はしていない。
(今回のこの)銀河鉄道の夜は素晴らしいスタッフが、それぞれの情熱をもって作りあげた素晴らしいもの。
当時としては珍しく絵コンテに8人も参加し、各人が章ごとに担当をしていて、それを監督である自分は、バランスをとるために若干手を加える立場という話も。
音楽の話について
細野晴臣さんの音楽もこの映画にとても素晴らしい曲をつけてくれているという話の後、「監督は、このシーンはこのような音楽と注文は出したりしたのかどうか?」という質問に対し、
細野さんという方はとてもまじめな方で、どんな音楽をイメージしているか聞いてきた。けれども自分は音楽については詳しくないし、イメージを上手く言語化することもできないので「揺れて下さい」とだけ伝えた、とのこと。
それに対し「揺れる、とは?」と細野さんもだいぶ戸惑ったそう。
監督いわく、賢二の伝えたい「銀河鉄道の夜」は抽象的な表現であり、理解することではなく「感じること」、
感じるというのは、目で見て理解することよりももっと広い意味で、それを表現するなら揺らぎ、波形のように振り幅のあるもの、
なので「揺れて下さい」と伝えたとのこと。
そんな割とむちゃぶりな注文にこたえてきた、細野さんも凄い。
本編の序盤、確かに学校が出てくるシーンはゆらゆらと画面が揺れながラカメラが建物に近付いていくイメージだし、象徴的に振り子時計も出てくる。
公開当初、幼稚園生をつれた団体もあったそうで、「幼稚園生にわかるかな」と心配した杉井監督。
子供は飽きるとすぐ客席からたってその辺走り回ってしまうが、その映画は誰も最後まで席をたつことなく見入っていたとのこと。そして帰り際「カンパネルラがかわいそう」と言っていたのを聞いて「わかるの?」とびっくりしたとのこと。
小黒さん「伝わったんですね」
小黒さんが当初、トーク時間45分は長くないかと心配したら、杉井監督そんなに短いの?という返しだったそうだけど。
確かに小黒さんがちらちら時間を気にするほど、しゃべり足りないようでした。
最後は撮影時間を短く設けて、惜しまれつつ(次の映画の上映スケジュールもあるので)トークは終了。
ロビーには、新文芸坐×アニメスタイルの歴代寄せ書きが展示。
最後にせっかくなので話にも出てきた、ますむらひろしさんの銀河鉄道の夜。第四次稿の最新シリーズも完結しているものの全4冊でいきなり手を出すにはハードル高いかもしれないので、1冊にまとまった最終形とブロカニロ博士編の紹介リンク貼っておきます。
Kindle版もあるようなので。