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個人的な過去のことからのしくじりと反省・後悔(第10章)

第9章の続きです。(以前書いたことから一部抜粋と訂正、追加しております)


対立なんて小学から当たり前。怒られないように。周りを気をつかうという意味よりも周りに迷惑かけないように一人で戦う。周りと戦うのが当たり前のような感じ

 私がいたクラス(学年)は担任対生徒という感じが常にあったように個人的には感じでした。担任変えてほしいと常にあったことも
 学級崩壊を起こしてもというよりも生徒の1つのグループ的な感じで反感でも起きたら外されるか何かのターゲット的なものになるかも。なので、(個人的な当時の学校生活のことです)

・先生に叱られないようにすると生徒と協調性なんてはできない。
・生徒と共に楽しくバカをする。想像力を欠如することでも。そうすると場合によっては怒られることも。

協調性も大事にして、ルールを守って、学校生活を送る。

でも、どちらか失う覚悟で戦って、どちらも失われた感じもありました

ただし 見た目は真面目そうにいい子に見えて実際はめんどくせーなとか早く終わってしゃべりたい。のような風景が小中学生ではありました
無気力・無関心もゆとり世代で言われていたかどうか・・・
 修学旅行でも楽しそうかと思われるかでしょうけど、いつでも東京等には行けるよとクラスの大半は思っていたかいなかったか。仲のいい人だけで集まって行きたいと思われていたか。
(必ずしも全員ではないです たぶん)

ゆとり教育でなければ、恐らく崩壊では済まされなかったのかなと思ってます。

そうしたことしか経験ない。けど

 私たちの代はこうした人達しかいないのか。と言われてもいいのか。今でもわかりません。楽しい学校生活なんて経験はしたことがないので。

 私の場合、小中学校で通っていた当時は学校以外で同い年の人と会うことはまずなかったです。学校の世界しかわからないということもあるので、必ずしもこうしたことが経験したことがある人なんていないと今でも思っています。


 ちなみに、今ではそうした話は思い出話で同窓会で楽しくできる。そうした事でなっているけど、個人的には・・・・・

(これから書くことは話せる場と話したら自分自身が居れなくなるリスクもある。話す人を選ぶけど、それすらも許さないなら抱えていくのは目に見えてしまいます。いや、言う人すらもあまりいないけど)


言葉の暴力こそ教育なら、その言葉で他人・大切な人の心を傷つけてしまう。その言葉しか言えなくなる。言えば褒められるという悪い方向へ走ることもある

以前この投稿をしました。

とある県(記事では福井県)で先生方からの言葉の暴力(𠮟責)より追い詰められて自殺を図った悲しい事件がありました。
(当時では珍しい と思いでしょうが、今そうしたことに関しての記事が多く目にしております。

 先生(ここでは担任・副担任)からの言葉の暴力、言葉の体罰を受け続け、周りがいる前でもやり続ける。それで孤立し絶望を感じて、SOSを出しながらも残念ながら自殺という選択肢を選んでしまった。
 さらにほかの生徒にも同じような指導をして、不登校になってしまったという事実もありました

短く書くとこうです

このニュースを当時見て、読んで思ったこと

 この事件が起きてから数年は経ちましたが(掘り起こしてしまいすみません。)事件発生した年たまたまNHKニュースを見て知ってからネット記事や新聞の関連記事をとって読んでいました。

その投稿後から数年が経ち、今でも変わらず似たような
いや、それ以上のことが起きています。
先生方もが加害者につく。
苦しいというSOSすらも捨てられたり、見捨てられたりも

言葉の暴力という言葉よりも𠮟責と書けばいいですね。強い𠮟責により起きたことと私が行っていた学校であったこととなんか似ているところがあったと、当時読んでいて思っていました。

 載せてはいませんがある記事ですが、私が当時いた学校もそうですが、ここの学校も人数も少なく、目に行きやすい環境ではありました。秋田も学力が上の方(私達の頃と比べてるのもですが)福井県も上の方です。宿題を忘れたと書かれたのですが、家庭学習に関しても恐らくプレッシャーを感じていたではと。

追い詰められた、周りがいる前で強い𠮟責をした。それも日常的に。それと周りがいる前で𠮟られて、怒られているのを聞いてこっちも𠮟られている感情も。

 その生徒は発達障害説もあったという記事も目にしましたが、担任が気にかかることもなく、サポートの環境も整備されずという記事も見ました。


なんか・・・小中学校でも似たようなことが日常的にやっていた。精神的にもつらい状況だったと想像してました。調べていて、再び思い出して一旦調べるのを止めました。
(同じ同級生も不満はありました。ただ、担任を変えることはありませんでした。自分がいるせいかなと責めることも。)


生徒からのいじめは助ける、けど担任等先生からの𠮟責や言葉の体罰は触れられない。

 𠮟責に関しては仕方がないところもあります。

が、やりすぎたり強い𠮟責や怒鳴り口調で𠮟る。行き過ぎた指導によるものも。
 いじめに関しては何度か問題定義はなっています。けど、福井県のような先生との関係性による出来事は問題にはせず、むしろこれも成長だ。経験だ。あなたを試されているし、期待しているからこそだ。と置き換えていることが多いのが実情です。𠮟られたことがないだろ、怒られたことがないといい大人になれないぞとか。あなたに怒っているわけではないと言われているが、
  このことをほかで話すとなると、学校に伝わり変にややこしくなったり、大人になって話すと学生時代のことをなぜ今?となるか、仕方がないか、これ以上のことが大人の世界にはあるよ、上のようなことを言われる。と思われるかもしれないのです。
たとえ相談所で話したとしても・・・なことも。

 SOSを出したって我慢とかむしろ悪化するなど、出しても無駄と思ってました。自分だけではなく、周りに強い𠮟責によってもやられていても。
(ただ、小学は辛うじてどうにかでしたが、中学からは)

逃げたら、居場所すらもない。もしくはこの人はダメな人間ですというカテゴリーに入られる。そう、周りに教えていく

 私の場合は逃げることができませんでした。なんとか耐えたとしても今でもトラウマに残っています。(そのおかげでこのご治世での世間の行動や大人の理不尽な事。そして・・・その部分も今でも目の当たりに)

でも、今は理解してくれる大人もいると思います。いや、います
とその当時言えたかな。
難しい部分もある。(今では障害・精神的障害で大変な思いもしてますので気にかけてくれたら。という個人の性格・特徴等)引き継ぐところで引き継がない。
根性論でやります!!やって見せます!!という体育会系でなかったことも経験してますから。

 もし、フリースクール等に一度でも見学も含めて行ってみたらどうかと思いの方もいると思います。でも、行きたくはないと思います。
 学校のイメージ(雰囲気)が不登校の要因になっているとしたらフリースクールだろうが保健室登校でも行きたくはないものは行きたくはないです。私でも行きたくはないです。その学校の雰囲気はその年によっては違うこともありますが、クラス・学年は3年間(小学は6年間)同じなのでその人の印象が変わりない。むしろ変化すると噂のネタになる。そうなると・・・・

 補足はしますが、フリースクール等不登校を支援するような場所は田舎にいくほど選択肢は2択か選択肢なし、もしくは車で遠出するしかないことも。

 支援するしかないの差は恐らく地方に行けば大きいと思います。(なお、引きこもりやニートの若者の就労支援は、不登校支援以上にもっとひどい格差になっているかもしれません。また支援も差別されることも否定はできません)コロナ渦で余計になっていることもどうなのか・・・・


一応前章でも書きましたが
 将来不安と思いでしょうが、もしここで自殺なんてしてみたら、将来なんて訪れません
。また、辛くても死ぬ気で耐えても、それがトラウマとなって大人になっても脳裏に残り死ぬまでそれと向き合うことになります。

今、このことで辛い思いをしている人達へ

先ほどの投稿にはこれに色々と書いてます。


が、ここではあえて触れません。

それすらもない人や許されないという大人達に苦しんでいる人にとってはそのアドバイスすらも難しい人もいます。

それでも

来年に入学する場合は新学期前に、新学期(書いている時点では新年か)投稿するのもどうかと思うでしょうが、そういった人達もいるんだと思ってくれたら。そして、不登校や学校が嫌だと思っている皆さんへ。

辛く我慢すること、耐えて無理して我慢し続けることはないんやで。

我慢の限界まで我慢すると体調不良を知らないまま、本気で無理して心に異常がでたら元も子もないです。(もちろん人体にもいえます)

 声を上げてもいい時代です。安心できる大人にSOSを。そして話してなにか重い重責を少しでも無くす(もしくは減らす)ことが出来る事を。


 あと、学校で友達作らなくってもその場だけの関係程度よりも一生の友ができないなと思ったら無理する必要はありません。学校内部以外にも世界はあります。


 こうしたこともあると心の底に覚えてくれたら。また、似た経験をお持ちの方は自分だけじゃなかったと思ってくだされば、幸いです。

(全てそういう人たちだらけではないと思います。たぶん)

なので・・・

苦しかったら

逃げろ

自己肯定感をなくすな。
𠮟られること・怒号に耐えても、全て自分が悪いという自己嫌悪を持つな。
周りの𠮟責までも抱えてしまったらもう取り返しのつかないことになる。

褒められたことは覚えて!
否定や文句だけで教えたことにはならないこと。

否定や文句ばかり受けていると

一生

それらに苦しんでいきます。

コロナ渦でそれどころじゃない
このご治世で余裕がない社会なのに何様だ
そう思われるかとおもいますが、

自殺でなくなったら
本当に、取り返しのつかないくらいことになります。

遺言書ではありませんが、先を見据えて予め書いておきます。

若い世代の親や先生含め大人は

こういう

理不尽で 利益優先や忖度まみれの世の中を臨んでいた のかな

耐えるかどうかをお手並み拝見として

誰かのSOSなんかは知らないフリ

嬉しい 楽しいことは罪だと

自粛して 否定に耐えること


今の世の中をもし望まれていたなら


自殺なんていくらでも増えるぞ


コロナ対策なら
インフル対策なら
周りの声と戦うなら


人と会わない

一人で戦う


楽しい感情を殺して


それが本当にいいのかな


よくないけど


それしかないかな

自分の心を身体を殺して

戦うのか正しい?


これを次の世代に持ち込みたくない。


楽しい 嬉しい

と感じるのは罪かな

そう思いたくなる 今の世の中です。

でも、心が弱い奴は生きる資格はない

ということも教えられてしまったこもあります。

次回、そのことについて触れていきます。


まとまりのない投稿で申し訳ございません。
その上でご覧いただきありがとうございます。


なお、この週末で今年(2023)が終わります。
とりあえず、第10章で一旦今年のシリーズ投稿は終えて年内最後の投稿を準備します。

年明けてすぐ、改めて第11章から再開します。

これまでの投稿はこちらから見れます。

この投稿だけでも後悔と懺悔、トラウマしかないまま

今日を迎えています


R6 1/10 追記

世の中色々とあり、しばらく間空きましたがこちらです。

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