過去のことを書く前に(導入部分)と過去に言われてきたこと
すいません 最近話題のオオタニサンの話ではなくって・・・
(ドジャース決定おめでとうございます)
あと、これも付け加えておきます。
憧れるのをやめましょう
オオタニサンを憧れることをやめられないよ 本当は
グローブの一件といい。色々とね
ただ・・・これは教える部分にはなるけど。みんながみんな 大谷翔平になれるわけがない。これまでの過程は教育に通じる部分はあります。
けど、それを間違ったニュアンスで指導に受けたり、合わないのに無理やりしてやるのもどうかなと。
そうならないと思うけど、万が一に備えて今のうちに突っ込んでおきます。
で、これから書くことの前にこれから書いていくようなことの導入部分として受け止めて
いや、考える一つのきっかけとして
その上でこれから書くしくじりの領域を超えた後悔と懺悔と取り返しのつかないことについてにつながることを書きます
飴と鞭(アメとムチ)ムチをやりすぎると取り返しのつかないことになる
これは以前とあるメンタルヘルスサポーターのセミナーにたまたま参加していた頃の話です。
あるメンタルヘルスセミナーでの質疑応答の時
とある方から(年配の方だと思いますが、そもそも若い世代でセミナーに来ていたのは数人程度です)
飴(漢字で書くのもアレですので、ここからはアメと書いていきます)ばかり与えるから悪さや不良が出てくる
引きこもりも生まれるとも…(ひきこもりまでは言わなかったけどこの世の中にしたのは若い世代がたるんでいるからということは言っていた)
もっとムチを与えないといけない
大人にも言う権限はある
厳しくしないと
世の中悪くなる
と言っていたことを思い出しました。
(何回か参加しているたびによく話されているようでした。家族もどうかしているということも。家庭内はそれぞれ異なるので、そうした教育が出来ているかそうではないかはそれぞれ異なると思います。また家庭崩壊が起きてしまえば・・・教育以前の問題にもつながると思います)
どう受け止めるかは読んでいる方々次第です。
それと、これも
死にたいという言葉使うな!と言われて思った事
これもセミナーでのワークでのことです。
ある方からこんなことも言っていました。(アメとムチを言っていた人ではないです)
ふざけたりしている中で死ねとか言っていて
残念だ。命を甘く見るな
それと
死にたい?と言っていても
とぼけるな 甘ったれるな
戦争で尊い命がなくなっているのに
死にたいなんて言葉に出すな
と思いたくなる。と言っていたりもありました。
(今の世界情勢での戦時下と比べてもここでも日本は日本で難しい問題はあるのでは?何でもかんでも比べたり、比較するのもどうなのか。ここでも様々な問題はあると思いますが、それすらも認めないし関係ないから言えるのか)
冗談でも許すな
という方もいた。
(いや、その死にたいという言葉でもSOSでは?と言ってみたがそれもわかるけど 私達はね あなたよりも長く生きているの それ以上は自殺の助長にも繋がりかねない発言になるので止めます)
ただ、そのムチや厳しさによって度を越えたりしたらどうなるか。
その厳しさで
そのムチで
真面目な人は死んでいく
頑張っているけど、周りは認めずさらに追い詰めていって最悪の場合もある
アメとムチはわかる。
確かに必要な場面もある。
けど ムチを入れ過ぎても
どうなのか
(アメばかりもどうかと思うけど。けど自己否定感が強く、さらにそうなった上にムチという名のとげの言葉を浴びせると・・・)
ムチを入れる人 入れ過ぎてはいけない人も
ムチということは恐らく
もっと体罰という名の社会の厳しさを叩き込んでいかないと
なのか。
もっと厳しくして
褒めるよりも できて当たり前を徹底し
競争・争い・犠牲心
厳しく
追い詰めて
挙げ句の果てには
一人で戦うとどうなるか
色々と言われている無敵の人になるか
生きていく資格はないと追い詰めて
自殺につながりかねないことにも
若い世代の声を聞いても
恐らく
反感と叱責して
昔はね と言ったり、聞いていて情けない
否定的な感情で言われて
その言葉を受け続けた結果
話さなきゃよかった
になるかもしれない。
先ほども書いた
私達はね 長く生きているので人生感を押し付けてしまうことで
若い世代の声が消えていく
になるのが目に見えているけど
そういう人の声は聞かないか
それとも…
(で それが障害がある方 特に精神や発達は… 施設に それ以上は控えてます。地方に行けば行くほどまだまだのところはあります。なにが多様性だよ 多様を受け入れないのに多様性だ 多様性だ? 矛盾していると言っても…)
これは個人的な意見です。どう受け止めるかはそれぞれ異なるけど・・・
障害を悪用し、真面目にやっているのに変に押し付けてSOS出しても耐えろと心が消えて取り返しのつかないことになる
あと…こんなことも
ある事件やら色々と聞いてきたことで思った事です。
障害に関してです。
知的、身体は助けるし支えるよ。
けど精神 発達は…疲れるしこっちの身(支援・相談員や当事者に関係ない人)になってよと思われたり
精神に関しては、治してからこい。迷惑だという人もいました。
(けど治すと言っても…)
多様は困る 思う通りにならない。と思っているなら
仕方ないと片づけるか。
でも、障害者の方特に精神・発達 立場の弱い方がSOSを発していても
支援・相談員含めてのあの方はこうだから耐えてくれ。
もしくは、こうしろと従わない・気に入らない・都合が悪い場合は
人権そのものは否定されていく。
それが悪いことしていると言ったら あなたもでしょと
もしくは這い上がってこい
双方の意見が対立姿勢ではと言っても、その方々にとっては邪魔か関係ない と思われてしまう。
真面目にやっても
それは当たり前だ! 褒めることはよくないこと。(けど、褒める人もいるけど褒めたらダメ人間になる。と真面目は当たり前だ。褒めてもこちらからしたら意味もない。と言われたりもしたそう)
追い詰めていくけど それは関係ない。
無理をしてやることはみんなを鼓舞しているから、素晴らしいんだよ。
あなたが頑張っているからみんな頑張っているんだよ。
あなたのために言っているんだよ。
がんばるを安売りして、心を殺しても無理することが正しいと思われているのかな。
全ては支援員・相談員 その上の方の実績しか見えてない。
長く見るのは論外 と短期間でどうにかしろ。
できない=いる資格はない。頼るな一人で戦え。
こっちも大変なんだ と言われ 思われているのかな。
障害は 特に発達や精神は短期間で治れるほど甘くはありません。
治らず、向き合うしかない。発達なら向き合うしかないです。
むしろ病名いやそのことも含めても他人が決めつめたり、孤独にさせて試すようなこともありがちですが。(それでいい方向に転ぶわけではないです)
発達・精神疾患も含めても、こうしたことを乗り越えろと言われがちですが 乗り越えろと思えるくらいの精神は無くなっていることもあります。診断も短期間では難しいです。
先ほどのアメとムチ。
そして以前書いたことにも通じる(それは後日改めて書くことにも一部通じます)
悪さというか その要因 原因はそれぞれなので
厳しくしすぎて その反感もあるのではないか
それが怖いから、その家族・上司に怒られるから
他の都合のいい人に向けて𠮟責して、居なくなるまで責任をなすり続ける。
ここからは真面目にやっている方々には申し訳ないようなことを書きますが
真面目にやっていると 周りから好かれる。
いや、支援員に向けてアピールして安心できると言うことで、だからこそ見守ってということは少なからずあります。(もしくは関わる人全員に)
言い方がアレですが、それを逆手にとって
ちゃんとやっている。と見せてアピールする。
そうではない場合・関わる人がいないとサボるか他人に押し付ける。
けど、自分の手柄・実績として真面目にやっている。と見せつける。
そのご家族も何も言わせないように仕向けることも
都合主義で悪ければ他の人に押し付ける
悪さをしても、他人や関係ない上にこの人ならいいやという人を犯人扱いにして
信じ込ませることもある。
そうしたことを障害のせいにして
悪さや人としてよくないことしても
家族から その障害がある方から
圧力かけて
別の人に押し付けて 辞めさせても 責任を負わせても
知らないフリ。もしくは・・・
支援員(ならびに相談員)はその家族 上の方に怒らせなくないから、加害者の声を聞く
連帯責任にしても仕方がないくらいにさせる。
信じているからこその行動でもある。けど、それは問題になりたくないから押し付けても都合が悪い人を排除(言い方はよくないのですが)して何後もなかったことにする。
それが当たり前であり
障害者の当事者以外からこう見られることも
障害を
差別 軽蔑 偏見
になってしまっている。
みんなそうだろと思われているくらいに
そうしたことは一部だと思います。
けど、真面目にひたむきにやっても、一部の人によっては生きづらさと孤独との戦いにもつながってしまいます。
障害ということを最近、個性と言われているけど
個性で苦しめていく
個性が迷惑かけてしまっていること
その個性で
居場所も 自分の存在する意味もないと
(また、その個性を悪用し親・周りの大人達からしたら それはここでは書きません)
障害を告白した。
けど、こうだろという価値観で言わなきゃよかった。
じゃあ、都合が悪いからという押し付けて否定される。ことも
(障害の告発については以前書いたブログにも・・・これもアップデート版で書くか。これははてなブログでは触れてはいませんしそこまで書くと個人的にもキツイので)
さらに
受け入れない姿勢を持たれても仕方ない
そう思わせることも
まだまだある
障害に限った話ではなく、ひきこもりやトラウマとの戦い等の生きづらさの問題にも
国がどうにかしろと言うけど
その国が 都道府県・市町村も
行政全体も
どうにかしろという以前に
(個人的には信用してません。上の方や立場から逆らったら殺されるか居場所すら消し去るかなくしていって追い詰めていくようなことはただあったので)
まず、周りから
価値観や今言われている多様性等も
考えていく
なんて
今の世の中では
考えてというか
効率 余裕のなさ
心が弱いとだめだ
都合が悪い人には関わるな
普通じゃない人の声は…聞かない。その生きる資格はない
と思われているんだろうな・・・
自殺しても仕方がない
ような世の中
そう感じてきたことを
まとまりが悪くすみません。
そして、これで傷つけてしまったらごめんなさい。
こうした声もあるということもご理解や反面教師として受け止めてもらえたら。
過去のこと 後悔と懺悔とトラウマの記憶
以前はてなブログでまとめて書いてきた
これから書いていきます。
後悔とやるせなさ
しくじりを通り越して自己肯定感を捨て自己否定感を作り上げたことも
これから書くことは
自殺・死・自分を殺してとかとんでもないワードが飛び交うこともありますが、それをご了承の上でご覧いただければ幸いです。
前編・後編という領域は済まされません。
閉鎖するはてなブログで書いてきたことをさらにプラスして、何回分けられるかはわかりませんが
ご覧いただければ幸いです。
まだ、作成するくらいに余裕がなく現在作成中です。
どう書くか検討しながらですが
仕事等が多忙であり、12月いっぱいでまとめては難しいけど、だいたいこの時期はトラウマが多く、キツイ戦いは続いてますが
雪が降れば、戦いは本格的になるので
この時期は色々とあったので
(8月・7月も、年明けての1,2月 4月、5月も6月も 9月もかな・・・木・火・金も ほほぼ四六時中ですが)
ここまで長いのもキツイので
なるべく短く
はできるかは不透明ですが。
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