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「やさしいかお」の解説のような

やさしいということだけは、
暴力になってはいけないと思う。

だから笑われるくらいの顔でいいなぁと思う。

【死ぬときはやさしい顔がいい
 見た人が笑うくらい面白いものでもいい

 私の心は孤独で満たされていて
 小さな穴や塞いでは破れた大きな穴が
 たくさん空いていて
 空っぽが染みわたり
 少し冷たく
 手を叩いたあとのようにじんわりと温い

 そんな体を横たえて
 空を向いた私の心持ちは
 置き去りにされ
 変質する
 それは
 もうけして変化しないものを連れ去られること

 世界に手向けられる
 やさしい顔で死んでほしい】

二日続けで「やさしい」という言葉を冠した詩になってしまいました。
ただ単に、続けて書いていただけで、
一個目の詩を書いて、
もう一つ思いついて、
出発点が同じだなと、と「やさしい」がかぶったのでした。

私の人生のなかで、「やさしい」という言葉はどこか呪いのようにいつも考えさせる言葉です。
やさしくならなくては。
やさしくなければ。
もっとやさしくしてくれ、
もっとやさしくなってくれと言われ続けたのもあったけれど、
「やさしい」をかぶった何かが暴力的に自分を殴っていた頃が長くありました。
じゃあ、やさしいって何?
もう自分を殴らせたくはないけれど、
誰もできたら殴りたくないので、
言いたくないし、思いたくないけれど、
自分は、いつでも、少しでも、そうなりたくて憧れているものです。

死ぬまでにいい答えに辿りつきたいものだなと、
今日も考えています。

そんな詩です。

でも一番に思ったのは、
祖母の死に顔でした。
物凄い笑い顔。
見た瞬間に笑ってしまいました。
そんな顔で死にたいものです。

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