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いっしょじゃなくていい

昨日、次男が無事誰にも移すことなくインフルから復活。
長男は朝起きてすぐ次男の顔を見に行き、にっこにこ。
「かわいい?」
ときくと、
「かわいい~」
起きかけていた次男もすかさずかわい子ぶって、「むにゃむにゃ」言ってみたりして。

あとは転がるように下に下りて行って久しぶりに二人で遊んでいた。
下りていくときに長男が
「僕のレイアウト力はすごくあがったから、次男ちゃんにみてもらいたい!」
と言っていたのには笑ったけれど、気持ちを切り替えて私はすぐに叫んだ。
「レイアウト力は学校から帰ってきてからにして!朝ご飯の前に着替えて!!!」
下からはすでに楽しそうな兄弟の声が聞こえていた。

私は今の職場で働く前は、人に褒められても
「そんなことないです」
とよく言っていた。
褒めてもらって申し訳ない、くらいの気持ちがあった。
私が褒められるなんてことあるはずない、ぐらい思っていた。
二十歳を過ぎて少しくらいの時に、今の古着屋で働き始めたのだけど、その頃は父親の違う兄姉と、父の不貞についていろいろ揉めに揉めて火曜サスペンスなみの泥沼家族劇場を繰り広げていた。
自己肯定力がもとから低いのが、更に地面にめり込んでいった。
化粧はほとんどしないし、服は鏡の前で合わせてみる、という事ができなかった。だから誰でも着られる(という魔法を信じて)ユニクロの無地の黒や灰色の服をひたすら着ていた。
人と接することが好きではないと思っていた。


そんな私が他人を褒めることは難しかった。
そもそも私なんかが褒めるなんておこがましいと思っていた。

今の職場で働き始めて、ちょこちょこお客さんに話掛けられるようになった。
仕事時間が長かったし、毎日会うお客さんもいて、こちらが
「いらっしゃいませ」
という前に
「おはよう」
と言ってくれるお客さんが、ちらほら。
今は最初からこちらも
「おはようございます!いらっしゃいませ」
と言えるようになった。
接客が得意らしい、と気づいた頃だったけれど、それはスタッフのFさんに
「あなたの接客が良いと褒めてくれるお客さんがいたよ」
と教えてくれたことでだった。
一緒に休憩中だった店長も
「笑顔で接客できていていい」
と言われた。
とてもうれしかったけれど、素直に「ありがとうございます」とは言えなかった。
古着屋に入って、スタッフ割引もあり、その上おしゃれが好きなスタッフに囲まれ(みんな系統もバラバラで服装の幅を見れたし)、同じ服ばかり着て行けないなと、私の服も自然と増えていった。
そのうち同じ年で専門に通いながら働いていた女の子に、服の合わせ方を褒められた。
その時もうれしかったけれど、たぶん「そんなことないよ」とか言った。
髪の毛の内側を赤くしたのが鮮烈に焼き付いた、素敵な笑顔の女の子に言ってもらったのに。


それが変わったのは、働き始めて数年後に入ってきた女の子のおかげだ。
彼女はすごく可愛かった。
目鼻立ちも整っていたけれど、似合う化粧や服装を、流行りを取り入れながらも自分に引き寄せて、研究して、自分のものにしていく子だった。
はじめはあまり口数も多くなかったけれど、仕事の時間が被るのでそのうち少しずつ打ち解けてくれた。
それがうれしかったこともあって、ある日の休憩中、私は彼女に
「Tちゃんはいつもおしゃれでかわいい」
と言った。
彼女は
「ありがとうございます」
と言ってくれた。
それが私の中でなかなかな衝撃で、なんだか私が認めてもらえたような気持になったのだ。
彼女は変化の多い子だったので、髪型や服装、化粧にアクセサリーから、接客のよかったところ、仕事の早いところ、褒めるところは物凄くたくさんあった。
彼女はそれをすべて笑いながら、喜んで受け取ってくれた。
良いと思ったことを伝えて、喜んでもらえる喜びを知ったのは彼女のおかげだ。
彼女は私のことも褒めてくれるようになった。
たくさんではないけれど、彼女が褒めてくれたことは、私は自分の中のいいところとして受け入れられるようになった。
彼女は今は古着屋を辞めて他の仕事を頑張っている。
たまにお店に遊びにきてくれるが、この間来てくれた時の髪の毛の色が、私の中に表せる色が見つけられないくらい、複雑できれいな色で、とても似あっていた。
いつみても、彼女はかわいい。

私は今は、褒めてもらったときに
「ありがとう」
と言えるようになった。
言えるようになって、自分の返してきた言葉は褒めてくれた相手を否定していたのだと気づいた。
相手の気持ちを受け入れて、お礼を言う。
それだけのことだけど、大事なことだ。
最近何かで読んだ、«人間の脳は自分で発した言葉でも、自分に言って貰ったものだと認識する≫。
自分の言葉は自分に返ってくると昔からいうけれど、それがもうすこしはきっりした、のかな。
彼女に向って言ってきた言葉を、私の脳ももらっていたんだな。

今の職場には十年くらいいる。
下のスタッフさんが増えた。
仕事を教える場面も増えた。
その時にも私はできるだけみんなのいいところを探している。
服の畳方がいい、声がはっきりしていて説明が聞きやすい、服の場所を覚えるのがはやい、掃除がていねい。
今では自然とそういうのに目が行くようになった。と、思う。
たぶん職場一褒めている人になった。と思う。

そうなって、ちょっと引っかかることが。
私は思ってないことは褒めないことにしている。
だから褒めてることは、本心からいっていることだけだ。
なのに、褒めた本人が受け取ってくれて、「ありがとう」と言った後に続く言葉が出てきた。
褒めた人じゃなく、そのまわりの人からだ。

「え?どこが?」

「そんなこといって甘やかしたらだめ、勘違いする」

なんてことを、言われる。
褒めた私と、褒められた人。
正直微妙な気持ちになる。
何故あなたが会話に入るのか、その否定必要なのか。
あなたが可愛いと思わないことは、自由だとおもう。
でもそれ今ここで私たちに言う必要と、それで発生するプラスってあるの?
勘違いじゃない、私はいいと思っていったんだ。なんでそれを否定されないといけないんだ。

言ってきた人に悪気がないのは分かってる。
でもちょっと、最近その声が気になってしまう。
脳は、言った言葉を受け取ってもしまうのなら、その人の言った否定は
やっぱりその人を否定しているんじゃないか、とも思う。
何より、わたしが言ったことで、褒めた人が嫌な気持ちになってたら
悲しい。

そんなことを考えていた昨日。
前に書いたオシオちゃんに
「ママがあのページを友達に教えたら、その人が〈これを書いた人は人のいいところをたくさん見つけられる人なんですね〉と言っていた」
と教えてくれた。
「ありがとう。
褒めるところがあふれてるオシオちゃんもすごいよ」
そういった私に、にっこりするオシオちゃんは、本当にかわいい。



書きながら、
これはもう、そういう人が何か言ってきたらその人のことも褒めて
巻き込んでしまおうか、と思い始める。
なんでも褒めればいいわけではないけれど、
少なくとも私が心から褒めてるのを邪魔されないように、
もっと周りのいいところを見つけて、褒めていこう。
そっちのほうが私に向いてるな。

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