溜めに溜めた詩の解説のような、
のnoteです。
自分の体が人間だと、
やっと認めていくような詩を書くようになりました。
結びがけっこう気に入っています。
私の世界を動かしているエネルギーは、
ひとつではありません。
だけど、
その全部にかける気持ちはけして半端な気持ちではないという、
そのままを書いた詩です。
男性の母親への許す精神、慕う手足、瞳が追いかける事情はどういった伏線なのだろうと、いつも考えてしまいます。
自分の心を探っていくとき、
けして出てこないものがそこにはあるように感じて。
だから時折、どこかの僕の話を書きたくなるようです。
朝がゆっくりと進んで行く。
その様子のなかで思い出の中の君を、
ここにいて欲しいと頭に描く。
そういう詩です。
誰のための美しさなのか。
だからどれを見ても、観ても、視ても、
うつくしさを刈り取ることはないのよ、という詩です。
大切なひとと、
どこまでも歩いて行けるなら、
そういう願いの詩です。
食べるものは、
私だ。
私は、食べるものと同じだ。
そんなことを考えた詩でした。
会えないほど愛は重くなってくる。
けして会えないと思えば思うほど。
日常の世界には積み重ねてしまう想いがあるのではないかなと。
いう、詩です。
どんな手でも、
誰に何を言われても、
壊れない人がいた。
うつくしいの基準をわたしに植え付けたような、
静かで信じがたいほど寂しい人でした。
何度詩に書いても、
また書きたくなってしまうひとなのです。
時間が癒してくれるもの、
というものは確かにある。
殆どはそうであると思う。
でもそうはならないものはある。
これはそういう詩。
以上、詩の解説のようなものでした。