解雇されちゃった、そのあとのこと
3月17日木曜日は、3月10日に解雇を申告だけされて止まってるお店(まだ受理されていないので)で一緒に働いていた人たちが集まってくれて、ミスドをかじったり、大福を頬張りながら話しに話しました。
もともと、家を建てて、本棚の写真を何度かインスタに載せていたら、
「この本屋さんみたいな家行きたい!」
と言ってくれていたのが、こんなことになって、
もう喋りたいこと溢れまくってるから、集まろう!!!と。
あんなに毎日のように会っていたのに、こうして一週間会わなかったら、もう何か月も会ってなかったような気がしてしまいました。
働いているときは、毎日が速すぎて、今年が始まったらもう終わっちゃったよ、みたいなことを思っていたのですが、働いていない今、毎日何をしようか、何をするべきか、何ができるのか、考えて、なんだか濃い毎日を送ったような気がします。
今回、三人が集まってくれて、その中で私が抜けたシフトを当然のようにほかの人に埋めてもらっていること、私と仲が良かったということであれこれ言われている後輩ちゃんの頑張り、みんなが同じようにいきなり私を辞めさせたことに怒っていてくれて、惜しんでくれて、もっと何かできなかったのかと悔やんでくれていました。
昨日弁護士さんに相談に行き、解雇理由を伝えたところ
「え??」
とかなり戸惑っていました。
解雇理由にするにはあまりに説得力も客観性もない。
よくそれで店長できてますね。
という反応だった。
私が「びっくりしました」というと
「そうでしょうね」
と深く頷いてくれました。
弁護士さんと話し合った結果、解雇理由を録音なり文書なりで店長からもらい、それをもとに文書を制作し、話合いをしていくことになりました。
そのことについても、今日三人に
「というわけで、戦えるところまで戦うので、シフト薄いところ店長が抜けることがあったり、もしかしたら証言をお願いすることがあるかもしれないんですが、すみません」
という私に
「そんなこと気にしないで!やってやったらいい!
証言ももちろんする!」
と心強い言葉をもらいました。
愚痴大会というのか、今までお店では口に出してこなかった不満が溢れだした数時間。
こんなことがあった、それはよくがんばったね、こういうことをしていて腹が立った、それは酷いやりかただ。
私の言い方がキツイというのを感じていたけれど、私の言っていたこと自体は間違っていなかったこと。
そのあと私のほうにきちんと変化があったことを認めてくれて、
ああこれなら一緒に働ける、楽しい、そう感じてくれていたこと。
何より驚いたことは、
来てくれた三人が私の腕の傷を見て、
「ああこの人は、この傷を乗り越えて半袖を着ているんだ」
と感じ、そのことに敬意を持っていてくれたこと。
だから副店長(店長のパートナー)が私の腕のことを
(私は中学生に上がってすぐからリストカットをしてました)
「この子は痛いのが好きなんやで」
とちょくちょくからかうことを、ひどく不満に思っていたこと。
それがとてもうれしかったです。
私にとって、この傷は自分が生きようとした傷だけれど、
他人にとってはただの数の多い傷でしかなかったから、
この傷から私という人間の考え方を肯定的に受け取ってくれていたのかと思うと、少し泣いてしまいました。
去年の夏、家を購入しました。
色々あって、大変な引っ越しになったし、入ってみたら
「あーここはこうしたら良かった」
ということはあったけれど、この家がとても気にっていました。
働くことに、いったい何の意味が、、、と思う時も、
ああ、この家を買ったものな!頑張らなくては!と
働くことを前向きに頑張れました。
嫌なことがあっても、自分の部屋にいることで落ち着けたし、
居るだけで幸せだと感じていました。
でも、この家を維持するだけの仕事を、また一から見つけることが私にはなかなかに困難だなと、解雇されて思いました。
何より、ここに居を構えたのは、私の職場を考えてのことが大きかったのです。
この地域は災害が少ないことはいいところなのですが、十年以上住んでみた今も、正直好きにはなれない土地です。
老後はまた違う場所で生きていこうと話してもいました。
それが早まっただけ、と思えば、次の場所を楽しい気持ちで探せるかもしれないと思っています。
家の話を出すと、お開きムードになっていた場が、一瞬で悲壮な色に変化しました。
一人は
「なんで、こんな風に人の一生の大きな決断を迫るようなことを軽々しく出来るんだ!」
と怒ってくれました。
後輩ちゃんは
「いやだー」
と泣き出してしまい、
隣にいた人は後輩ちゃんの肩を抱きながら、
「ここに残る方法もあるんやろ?」
と言ってくれました。
私は、今すぐ出ていくわけではないこと、八割他へ移ると思うけど、絶対ではないことを言いながら、こんな風に言ってもらえたことに涙がまた出そうになりました。
私って、意外に周りの人の輪に入れてもらえていたんだ、と驚いたり、うれしかったり。
こんなかたちでやっと持てた交流。
もっと自分から動いていればよかったなとおもったり。
結局、6時前まで話こんでしまって、ママさんふたりには申し訳なかったり、次の約束があった後輩ちゃんにも申し訳なかったり。
別れ際、
「また集まろう!っていうけど、それってけっこう叶わなかったりするから、次の会う日の話をしよう!」
と言われてまた嬉しくなったり。
今度はピザ取ろう!!なんて言いながら、三人の乗り合った車を見送りました。
解雇については、これから店と戦うことになります。
それについては右胸のあたりや、胃が痛くなったり、体が動かなくて泣きたくなったりですが、できることから片づけて、動けるときにしっかり動いて、やれることを増やして、もうせっかくだから今まで避けてきたことを始めるきっかけにしてやろうと思っています。
生活が一番、子供がいるから彼らの安泰が一番、でも自分が幸せになるためにも動いていいと言ってもらったような気がしています。
そのために何を自分ができるのか、動きだせるように今は起きてんだと思うことにしました。