私のいままで、20代のはじまりと古着屋での色々編
私の20歳ころまでのあれこれは、こちら。
色々書いていたら、後編としても長くなり過ぎたので、
古着屋色々編、としようと思います。
色々、というか半分以上は愚痴となってしまいました、、、
辞める前に言ってしまえばよかった!
というやつです。
良かったら読んでやってくださいませ。
ここに書いて、もうこのお店のあれこれは書くのやめようと思います。
いいことも、ストレスで胃酸が上ることもありました。
そんな編です。
それでは、どうぞ。
祖母と、母とを養いつつ、古着屋で働き始めた私はそこから13年そこで働くことになります。
この店では、本当にいいことも悲しいことも
生まれては消えていく泡のように
たくさんありました。
兄と姉にズタボロにされたあとのことだったし、
同じ地域での引っ越しだったので
いつこの場所を突き止められて怒鳴り込まれるんじゃないかと
びくびくしていました。
兄は恰幅のいい人だったので、
体が横に大きなお客様が入ってくる度に、
びくっと体が跳ねていました。
姉は服が好きな人だったので、
古着屋に売りに来ることがあるかもしれない。
そう思うと精神が細く細くねじられていくような
心持ちでの生活でした。
二か月の試験期間があり、
その前に首になったらどうしようと
そちらもひどく心配で、怯えていました。
とにかく私は自信がなく、
なんにもできない駄目な人間なんだと
思い込んでいました。
ここで仕事を失ったら、もうどうしようもないな、
と思っていました。
それでも
私は人生初の恋人ができ、
ネットからはじまった人間関係が発展していったり、
人との関りもいい方向へ変化していった時期でした。
この時に私に会いに来てくれたNさんがいなければ、
私は今でもぐずぐずして、
自分なんて、と繰り返している人間だったと思います。
この時のはじめての恋人が、
今の夫になるのですが、
彼にもいろいろと支えてもらうことになりました。
お金のことを母と話し合って
私の入れる分を減らしてもらうことができたのは、
Nさんの応援と、
夫がいっしょに母を説得してくれたことが
大きかったと思ってます。
店長や、副店長であり店長の奥さんであるKさんには、
私の事情を話していたので、
挙動がおかしいことも多めに見てくれていました。
また、もしも何かあったら家にきたらいいからね、と言ってくれたり。
あの時のお二人の言葉は、本当に支えになりました。
こんな親戚もいない場所で
逃げていい場所があることの安心は大きかったです。
この時、
私は何故かモテキがやってきていまして、
お客さんにいきなり告白されたり、
何故か母親の介護を前提に付き合ってくれという
すごい告白?をされたり笑
恋人がいるとモテるってほんとなんだな、って納得した出来事でした。
同じころ、
あるお客さんに唇を触られ、
後ろから抱きつかれ、
胸を触られるという事件がありました。
いそいで振り払ってレジに逃げ込んだのですが、
店長も、いっしょにしゃべっていた男性スタッフも、
そのお客さんをどうこうしてくれることはありませんでした。
今なら、すぐに警察を呼ぶとおもいます。
店長にもしっかりと訴えて、男性を引き留めてもらうと思います。
でもあの時の私は、
ただただ触られたことへのショックを耐えている状態でした。
そんなことをしてもいいと思われるような人間だと思われたのだ、と
体が震えて止まりませんでした。
そのお客さんは、その後もお酒を飲んだ状態でやってきて
私にも話しかけましたが、
それに対して店が対応してくれることはありませんでした。
私は他のスタッフに全部話し、お願いし、
その人が来たときはうしろで作業をさせてもらうようにすることで
いっぱいいっぱいでした。
出禁にはできないのかと店長に聞いたこともありましたが、
曖昧に「できんことはないけどなぁ」と笑うばかりで、
ああ面倒なんだなと伝わりました。
他にも、怒鳴りつけてくるお客、
商品を壊す、汚すを平気でして帰ろうとするお客、
そういうお客に対して店長は積極的に対応してくれなかったことは、
本当に今も腹立たしく思います。
いつもその場を穏便に流せたらいいというスタンスが、
自分にはとても苦しいものでした。
お花見をいっしょにいったり、
スタッフの還暦祝いに旅行にいったり、
毎月のミーティングのあとのお昼ご飯を食べに行ったり。
楽しいことも、たくさんありました。
仕事も、
自分で工夫を凝らすことができて、
それが直にお客さんから言葉をもらったりできて、
とても嬉しい体験もたくさんさせてもらいました。
自分の売り場だけではなく、
他の人の売り場を手伝ったり、
やったことのない事務仕事を手伝ったり、
色んな事を覚え、させてもらいました。
副主任という役職にも着きました。
忙しい時期は九時や十時まで残業していたこともありました。
たぶんスタッフの中で、私が一番残業をしていたと思います。
子供コーナーの絵本は、すべて実費で出しました。
何十冊と置いてきた本が、
これからもどうか大切にお店で読んでもらえますように、
今は思うばかりです。
商品を陳列するかごも、
頼んでもいつまでも買ってきてはもらえなかった細々としたものも、
自分でいったいいくつ買ってきたのか。
店長に、「買って来たらレシートを渡して」と言われたので、
その通りにすると「俺が買ってくるっていったでしょ」と言われ、
じゃあと待ってみると一か月も二か月も待たされ、
結局忘れられて買ってきてもらえないということを
何度も繰り返し、最後にはもう黙って買ってきた使うようになりました。
これがみんなに対して同じならまだいいのですが、
朝の店長と同じくらいの年齢のスタッフにはすぐ買ってきてくれるのに、
夜に入る店長より若いスタッフにはその対応なので
けっこうな不満が溜まっていました。
今はもう彼女も辞めてしまいましたが、
かわいい後輩のオシオちゃんはひたすら毎日言い続けることを
一か月続けて買ってきてもらったというエピソードがありました。
一度noteにも書きましたが、
大柄な男性(海外の方ですが、言葉は通じます)に
購入前のベルトを切りたいと言われ、
私の鋏を壊され、とめに鋏の刃を握った私の手を少しばかり切った事件の時、レジを閉めながら「もしもこれが店長の奥さんや、娘さんだったらどうしてたんですか」と聞いた私に、「そんなの殴るよ」と言い放ち、慌てて
「もちろん、としさんの時だって怒ってるよ」と加えていました。
もう言っちゃったことは取り消せないですよ、店長。
言い出したら愚痴になってきてしまいましたが、
そんな感じで毎日働いていました。
予定もお店を優先することが多く、
生活の中心に、職場がありました。
(どうしても休みがかぶってしまう時は、
スタッフ同士で話し合って決まったら教えて、というお任せ主義で、
これがとても困りました。
子供がいるから来られない、という人が重なったときは
もう私が譲るしかないという時が何度かありました。
その間、うちでは幼い子供がお留守番してました。
それを後から他のスタッフに「子供がかわいそう」なんて言われると
「えぇ~」となりました。
これも今思うと、なんでそこまで店を優先しないといけなかったのか、と
感じます。)
止めよう。
本当に愚痴だ。ごめんなさい。
以上、古着屋色々編でした。
次は子供と夫編のようなことを書きます。