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【川の流れの中へ】(短いお話)


 文章を各自が書き、持ちよって読み合う集まりに参加して一年半ほどが経っていた。
 そこでの学びは多く、年長の方の意見や、見え方を知るのにとても為になると考えていた。
 私の文章は、どうやら私が思っていたよりも個性的、独創的、そして伝わり辛いものだということもそこへ通いだして初めて知ったことだった。
 できるだけ伝わるように、思い描けるように、寄り添えるようにと書いてみたが、なかなかその壁は厚かった。私の第一発想そのものが、そもそも日常から突飛に跳ね出ていることのようだったからだ。
 それでも、月に一回のその集まりはとても楽しかった。得るものがあるだけではなく、同じように書くことを楽しんでいる人たちがいることが心つよかったのだ。
 けれど最近、この集まりが少し私の肩を重くしていることに気が付いた。
 集まりのみんなの言ってくれる「あなたらしさ」を追求すれば「訳が分からない」ものとなり、「寄り添うことを考えて書く」とそれはまるで薄まった酒のような味の文章になるのだった。
 今回提出した作品は、何事にものめり込めない主人公が、隣の土地の不思議な力に吸い寄せられ真に非ざるような体験をして帰ってくる、そしてそのことを同じアパートの子供に話したところ、「あなたは貴重な体験をしたんだよ」と教えられる。そしてもう一人、アパートの住人の子は、この森に傾倒しているという友人で、どうしてもこれから二人で土地の中に入っていくのだという。二人の子供と別れ、ふと主人公は考える。自分は朝に入り、今は夕暮れ、時間の歪んだようなこの中に、夜の闇が迫るこの時間に入りこみ、あの子供たちはいったい何時かえってくるのだろうか、と。
 主人公自身の不思議な体験と、だからこその拭いきれない不安を抱く場面でこの小説は終わる。
 6400文字の、少々長いものだった。私は、読みながら周りの紙を捲る音に紛れる溜息のようにあからさまではない辟易とした感覚を感じ取っていた。
 それでも何とか読み切り、司会進行へと目配せをする。今回の司会進行は、「それではいつもは隣の人に回しますが、今回は言いたい人からにしましょう」と提案した。
 そうして最初に意見を言ってくれた人は「ひと夏の不思議な体験をする、という感じの大人版で、全部を把握はできなかったけれどよかったよ」という方で、するりと感想を置いた。次に感想を言ってくれたのは司会進行役だった。「終始同じトーンで、うねりのような、もうすこし強く意味のある場面のある、書きたい部分の前振りのようなものを勉強したらもっと良くなると思う」ということだった。なるほど。とメモをしながら、次のひとの言葉を待った。その人は、悩んだ様子でこう言った。「最初は、うんうんと読んでいられるけれど、正直中盤は飽きてしまった。先の人が言ったように、まるで場面の変換に段差がなさすぎると思う」「あと、子供たちの言葉遣いが大人び過ぎているように感じた。もっと砕けた書き方をしなくては、主人公との年齢差を感じられない」と。
 そこで私は胸の奥を殴りつけられたような感覚に陥った。「退屈」それは読書で一番感じさせてはいけないものではないだろうか。それを感じさせてしまった自分の文章に、猛烈に反省がおこった。何と詫びればいいのだろうか。
 もちろん、意見を述べながら、「これは個人的な意見です」と言っての言葉ではあったけれども。一人に感じた退屈は、それはそれは大きな一打だった。
 次に感想を述べてくれた方は、更にその上を行く私への殴打をくれた。
「余白が無さ過ぎて、読みにくいのです」「もっと想像する余白をください」と。
 私の頭はぐわんぐわんと鳴り渡るように、その言葉でいっぱいになっていた。
 余白。それは今まででこの作品が一番とっていたからだ。これ以上酒に水を入れられない。私の文章ではなくなる。でもこの集まりに来る限りは、この人にも読んでもらわなくてはならないのだ。余白の無いと感じる、全く分からないという文章を読むのは苦痛だろうことは、私にもの少しばかりは想像できた。それでも余白が無い、などと感じたことがない私は、かの人の言う余白が全くどれほどの広さなのか分からないのだった。
 最後に感想を言ってくれたひとは、「前の方々の読み方は個人的に過ぎて、文章の評価になっていない、この人の文章はこの人の文章でいいではないですか」と庇う様に私に言ってくれた。その言葉に私は涙が出そうだったが、意見を言ってくれた人たちに失礼過ぎてそれは堪えた。
 そこから、次の方の文章へと移っていった。それは私を庇うような言葉をくれた人の文章で、この人の文章はいつもとても絵が浮かぶ。人の記憶を刺激するのが上手く、そこにそっと手を添えて、「私の見ているものは見えますか?」と聞いてくれているような文章だ。読み始める前に、いつも茶目っ気で「わたしのは単純な、分かりやすい文章ですが」なんて言ったりもする。完全に達者な方の気の使い方なのだった。
 そのひとの感想を言いあいながら、私はまた自分の臓腑の位置をしっかりと自覚する衝撃が襲うとは思っておらず、思わず胸を掴まないように、へらりとした笑顔を浮かべることに専念した。それは、私の文章が全く分からない、といった人の感想だった。
「本当にさっきの方の文章とは全く違って分かりやすく、映像がすっと浮かぶ、素晴らしい文章でした」
 私はこの後の感想を上手く言えたのかよく覚えてはいない。

 珍しく缶ビールを買った。いつもは苦くて手を出さないものだ。
文章書きのあつまりからまっすぐ帰る気になれず、私は家を通り過ぎ、買ったことのない自動販売機で缶ビールのボタンを押した。大きな落下音が、夜に近い時間に響く。勢いよく取り出し、落ちてきた小銭は放っておいた。私は自動販売機のすぐ横にある河原へと下りていく散歩道を歩いた。ふーっと、深く息を吐きだしてから缶のプルタブを外した。そして思い切り喉の奥へと流し込む。不味い。絶対あとで頭痛がする。歩いて家に帰れる気がしない。そんな否定的な言葉を全て無視して、私は飲んだ。飲んで、飲んで、飲み切ったのだった。
そして、案の定、酒に弱い私は歩けなくなっていた。
もう夜に含まれた河原の散歩道を行く人は少ない。それでも歩行の邪魔になってはいけないと、私は必死の思いで川の方へと道を逸れた。虫が鳴いていた。初夏に鳴く虫なんているのかと、新たな発見に心の端の方ではしゃいだ私が居たが、次の瞬間それをも凌ぐハプニングが私を襲った。
なんと酔った私の体はバランスを崩し、下り坂のようになっていた川べりへと後ろ向きに転がり落ちていったのだった。声はあげなかった。あまりの浮遊感に一瞬胸の苦しさが晴れた体。そして続く草と泥、そしてすぐ近くに流れる川の流れの音に、酔っ払いは受け止められたのだった。
久方に見上げた空には、知らない星座が幾つもあった。それは、私の視界が滲んでいたからかも知れない。
数分、私は誰にも気づかれていないことをいいことに、そのままの体制で過ごした。きっと帰って靴箱と一緒になっている全身鏡を見たら怖気づくこと間違いなしだとは思ったが、この日常から切り開かれた時間が私には惜しかった。
惜しいついでに、私はずるりずるりと足で上半身を押すようにして川の浅い部分に頭を付けた。浅いといっても、私の耳の中に飛び込んでくる水音は、耳の半分を呑み込んでいる。重たくなった頭が、自然と川の流れに浮かばされていた。
つめたい。きもちいい。ちょっとくさい。生々しい、においがした。
私は目を閉じた。すると、どうしてか、耳に飛沫が響くたびに、私の頭の中に詰まったインクが流れ出ていくような気がした。文字を書くための、物語りを描くための、私の私を愛せる唯一を、私は川に垂れ流している。それは怖い感覚であった。けれどどうしても頭を揺らす川面の心地に動けず、そのまま私は、動かなかった。
そうしていくうちに、インクを零すことは少しも怖いことではないような気がしてきたのだった。
古いインクを後生大事にちびちびと書いていたのかもしれない。
一度インクの色を変えてみてもいいかも知れない。
そして、同じ色のインクを入れるにしろ、違う色のインクを求めるにしろ、一度器はきれいにしなくてはならないだろう。それが、今のような気がした。

私は、くしゃみをひとつして、それを合図に川から頭を上げた。ぐっしょりと濡れた頭と肩が、夜風に吹かれて背中にひやりとしたものが垂れた。
ああ、明日は熱が出るかもしれない。
そう思いながらも、酒の抜けた体は思いのほか軽々と動いた。自分の放り出していた缶と、草原に一緒に落としていた鞄を下げ、私は無様な恰好で遊歩道の明るい電灯の下に立った。今は何時なのか全く分からなかったが、私を見た人は幽霊と思うかもしれない。
幽霊と勘違いして相談にのってやる人と、幽霊じゃないと言い出せない酔っ払いの話なんて、ちょっと面白いかもしれない。
ああ、また書きたい。そう思っていた。

ちょっと、今回は私の根性が弱かったのだ。
でも、やっぱり毎回私の文章を引き合いに出してあの人の文章を褒めるのはやめてもらおう。
私は帰り道を進みながら、そんなことを考えていた。
私はまだまだ書く。書くからには読者が必要で、あそこは私のかけがえのない場所なのだ。
古いインクが流れ出て、さて、新しいインクで書いたお話は私の話を少しは分かりやすくしてくれるかしら。
いや、そんなことはしてくれなくていいのだ。
私は私の努力で、私の文章で分かりあっていきたいのだから。
とりあえず、話を書くためにも、早く帰って温かい風呂に入ろう、と、私は泥の跳ねた靴を大きく一歩踏み出した。




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