聞きなれた歌が、ふと響く
数日前の音楽番組、何とはなしについていたテレビからドリカムの未来予想図Ⅱが流れてきた。
私は自慢じゃないけれど«“晴れたらいいね!”からのファンで、人生のほとんどの時間美和ちゃんが好きだと思って生きてきた。
私は好きになった人を嫌いになることがあまりない。
それは音楽の場合も大抵当てはまる。
音楽は生きてる人から生まれて、その人が生きてる限り変わっていっていいものだと思う。
だから自分の好きから音が離れていっても割と聞き続けている。
その人が好きなことが変わらないから、今のその人が聞けてうれしいな、くらいに聞いている人もいる。
そのなかで美和ちゃんは、もう神様みたいなひとだ。
ものすごく好き。
声が好き、歩き方や、照れた笑い方も好き。
ライヴに行ったら会場のそばに来ただけで涙ぐみ、会場に入ろうものなら少し泣きはじめ、マサさんの登場でぐっと来た次の瞬間、美和ちゃんが視界に入ったことに体が感動でいっぱいになって、漫画である表現みたいなぶわっとした涙があふれる。くらい、好き。いつもいっしょに行ってくれる夫は私があまりにずっと泣いているから、脱水症状を心配してはらはらしている。ごめんね、ありがとう。
そんなに好きな美和ちゃんの歌でも、だからこそ、あんまり好きじゃない歌はある。その感情わからん、と思ってしまう歌。
たとえば“今日だけは”。アルバムに入っている、兄弟の結婚前日のやりとり、いっしょに暮していた家からいなくなり、当たり前が変わってしまうことが寂しいけれど、大好きなあなたは幸せになってね、という歌なのだけど、うちは兄弟仲(兄姉はうまくいっているけど、二人一緒に私とは合わない、只今絶賛絶縁中)がよくないので全くピンとこなくて、好きになれなかった。それでもアルバムを聴いているときにわざわざ飛ばしたりはしない。
そんな一曲のなかに、“未来予想図Ⅱ”も入っていた。
“未来予想図”と、Ⅱのその後を描いた“ア・イ・シ・テ・ルのサイン”は好きだ。なのに、なぜかⅡだけ苦手だった。
ドリカムと言えばこの曲がかかる、聞き飽きている、姉なんかはカラオケにいくと必ずリクエストされて嫌になったなんて言ってたけれど、それ以上にやっぱり歌詞が私には共感しずらかったのだと思う。
それなのに、びっくりしたけれど、私は泣いていた。
流れていたのは、昔の映像ではなく、最近のライヴ映像だった。
ライヴバージョンの、美和ちゃんが嬉しそうに笑いながら歌う、マサさんが男性コーラスの部分を歌い、会場に向かったり、バンドの人たちに向かったり、二人で目を合わせたりしながら、きちんと年齢を重ねて、それでも歌えるように日々コントロールされてきた喉や体が出す未来予想図Ⅱは、ものすごく良かった。
今の美和ちゃんが歌う、
「あなたとだから ずっと心に描く 未来予想図は ほら
思ったとおりに かなえられていく」
うまくいかないことも、大変な時も、憂鬱な毎日も、
あなたがいることという中心を彩る一つの出来事なんだ。
ただ幸せになりたいという夢物語ではなくて、
あなたがいれば、どんなに遠回りをしても幸せに向かっていける。
そういう風に聞こえるようになった。
本当に泣きながら、聞きながらびっくりした。
今はあまり気持ちが入らない歌や、物語が、いつか自分にとって驚くくらい寄り添ってくれるものに変化するかもしれない。
出会ったものは無駄にならないって本当だった。
なんて思った夜でした。