唯一だと思えた事実をありがとう
私にはしんゆうだと思う人間が二人います。
ひとりめの、女の子
一人は、幼いころに隣に住んでいた女の子。
同じ年で、明るくて、ほっそりとして、柔らかな髪の毛のをしていた。
散髪屋さんをしているお父さん。
愛情深いお母さん。
やんちゃなところがあるけどお姉ちゃんが大好きな妹ちゃん。
彼女自身が家族が大好きで、家族も彼女を誇りに思っていることが伝わる家族でした。
やさしくて、かしこい、私にとってもみんなに自慢したい、大好きな女の子でした。
彼女とは保育園の一番小さいクラスでいっしょになり、私から話しかけました。たぶん三歳の時。
私は人形(保育園のおもちゃの、布製のちょっと大きな人形)を片手にぶら下げて、彼女に「遊ぼう」と言いました。
胸が張り裂けるくらい緊張したこと。
彼女が「いいよ」と言ってくれて、天にも昇るくらいうれしかったこと。
その光景を、びっくりするくらい覚えています。
私は小さいころから太っていて、人見知りで、
内向的な典型のような子供でした。
コンプレックスの塊で、そのくせ頭でっかちな可愛くない子供。
そんな私と、彼女は仲良くしてくれました。
それは家が隣り合っていたくらいの必然なのだと思います。
それでも一番遊んだのは彼女でした。
大好きだと言う私に、「私も」と言ってくれたのは彼女でした。
私が小学一年生の終り、田舎から引っ越すことになりました。
大好きな場所から離れてしまうことと、彼女と離れることが、本当に悲しかったです。
今でも一年生の最後の日は、家に帰りたくなくて、もっと彼女といたくて、不貞腐れた顔をしていたことを覚えています。
私は彼女以外に親友を作りたくなくて、転校したクラスで誰に対しても一線を引いて生活していました。
夏休みや冬休みには、はじめの一週間で宿題を終わらせて、
あとは田舎に帰って過ごしました。
(だから登校日に登校したことはない、と大人になって言うと、必ずひかれました笑)
その間はずっと彼女と遊びました。
他の友人たちとも一緒に遊びましたが、最初にチャイムを押して誘いに行くのは彼女の家でした。
中学に上がってからは余計に田舎に帰りたがり、しまいには両親を説得して田舎に一人で帰って生活することになりました。
ずっと手紙のやりとりをしていて、そのことを伝えると彼女はとても喜んでくれました。
古くて、虫がよく出て、近所の子供からはお化け屋敷と綽名されていた家で、祖母と猫と犬と、そして彼女と中学の後半を過ごしました。
彼女は年齢を重ねても、変わらずやさしく、明るく、かしこい少女でした。
ふたりめの、女の子
二人目は中学一年生で部活の見学をしに行ったときに出会いました。
同じ苗字だったことでお互いに、あ、となったことが最初のきっかけ。
コーラス部を一日目、二日目に文芸部に見学にいったのですが、
その両方で顔を合わせた彼女と話をするの自然の流れでした。
彼女は面白い子でした。
父親からの暴力に男性を拒絶しているのに、自分の女性の部分も受け入れられない、複雑な自分に嫌気がさしているような子でした。
繊細なのに、繊細な部分を受け入れたくないとより痛めつけているような。
コーラス部にはいったのに、自分の声に自信が持てず、微かにハミングするようにしか歌わなかった彼女。
彼女は絵を描くひとでした。
本を読むのも大好きで、私の書いた小説や詩をよんでくれました。
私の創作上の人物をよく描いてくれました。
彼女は、私が思い描いてる、ほとんどそのままの人物を描いてくれました。
お互いに未熟な同士だったけれど、私たちはお互いの良さを褒め合い、
足りない部分を考え合いながら創作をしあい、見せあいました。
お互いの家に泊まり合い、本を語り合い、Coccoや鬼塚ちひろ、笹川美和の音楽を聴き合っては、そこからお互いに創作へと広げていく日々でした。
Icoというゲームも、「絶対に君は好きだから!」と彼女がクリアするのを横で見せてくれました。
それだけではなく、私もやってみたいという申し出に快く協力してくれ、
彼女の家に泊まり込んで、七時間かけてクリアに導いてくれました。
私が中学二年生から田舎に帰ってからも、彼女との関係は続きました。
電話では何時間も話し、よく祖母に怒られました。
携帯を持つようになってからは、作品を送り合ったりもしました。
今でも電話を片手に自分の小説や詩を読み上げていたことを懐かしく思います。
手紙もよく書きました。
といっても、彼女は自分のことを言葉にすることに抵抗がある人だったので、私が五通書いて、彼女から一通返ってくるという感じでした。
手紙が届けば電話をして、電話を切ったら手紙を書いて、
そんな繰り返しをしていました。
今思うと、すごい熱量を彼女に向けていたことに気付きます。
彼女は私の、私は彼女の理解者になりたかったのだと思います。
嫌なことというよりも、悲しいことが多かった子供のころ。
(この頃だって十分子供だったのですが、その当時の気持ちとしての、子供の頃です)
彼女は私の無力な部分を知っていました。
時々、暴力的に自分自身に当たる私に、もうやめなよと言ってくれる人でした。
彼女は自分のことをだらしない、持久力のない、努力のできない人間だといったけれど、そんなことはありませんでした。
彼女は私と友達になってくれたのですから。
それからの、わたしたち
一人目の彼女とは、二十歳のときの田舎の同窓会で会って以来会っていません。
連絡先は知らないまま。
志望大学に受かり、一人暮らしをし、彼氏ができ、結婚し、子供ができた、というところまでは知っているけれど、私が兄姉に近づきたくなくてFacebookをを抜けてしまってから、彼女の情報をしる術をなくしてしまいました。
知ろうと思えば、辿れるのだろうと思います。
でも今私は、そうしようとは思っていません。
二人目は、二十歳になる前に色々とあって、彼女からの
「あなたの正しさについていけなくなった」
という言葉を、私が「分かった」とかえして関係が途切れました。
お互いに不安定な状態だったことも後押ししたのだと思います。
誰かに縋りたいけれど、お互いにぼろぼろなことが分かっている。
しんどい時期でした。
それでも私も彼女もできる限りのやさしさをお互いに向けようとしてきたと思います。
それができなくなったことが、彼女に別れを口にさせたのだとも思います。
彼女のことだって、本気で連絡を取ろうと思えばできるでしょう。
でも、動き出すところまではいかないのです。
今の生活に必要ないというわけではありません。
今でも私は彼女が大好きです。
幸せならいいし、苦難の最中でも生きていてくれたらいいと思います。
私は私の今を生きて、いつか何かでまた道が近づいたらいいなと思っているのです。
その時、昔より彼女を傷つけないように、今度はもっと長くいい時間が過ごせるように、周りを私は大切にしなくてはいけません。
来るのかどうか分からない再会に、準備をし続けている。
私はいい生き方だなと思っています。