「波よ打て」の解説のような
言葉を途中で止めてしまう文章が私は好きなようです。
最初のほうこそ、
言い切ってみたり、
説明のように書いているのに、
どんどんと閉める作業に入ると、
その扉を少しでも広く開けておきたくなってしまうのかもしれません。
言葉を
(ありがとう、とか、ごめんなさい、とか)
ただ置いていく、
それもいくつも、
というのはあまり好きではありません。
だけど、ここではこれだけ置いておきたいと思ったのでした。
それくらい、
どの言葉であっても、
それがどんな感情で使われたものであったとしても、
手放した瞬間、
もうそれに同行することは叶わない。
いい方、わるいほう、どちらにいっても大丈夫。
なのでせめてそういうくらいの気持ちで。
そしてそう分かっていたとしても、
届く、と信じて言葉を追いかけてあげたい時もあります。
そんな気持ちを書いた詩でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?