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「しないから」から「わたしも回る」までの解説のような
やっと、
これで今日は終わります。
今日の詩を載せたら、
明日、完走します。
それでは、最後もごゆっくり。
簡単な算数も
分かりやすい言い間違いも
あったものであってほしい真実のように
堂々と私の手にしまわれて
この手のひらより外に届かない真実
それを思い出とはけして
呼びまわりはしないから
大変に身内の詩です。
私の母の顔をして、
そんなこともあったような顔をして、
私の手を握ったひと。
私の母は、母意外であれば許せた全てを私に負わしたひとです。
あなた ほんとに 中身詰まってるの
たくさんの種だけ重くなって
元々の身を甘くすることを怠っていない?
カボチャ頭なら
重く重く地へ這うように
地に抱かれるように
在りなさいませ
軽い頭は 蹴っ飛ばすわよ
詩学舎のお題、「カボチャ」のために書いた詩です。
カボチャと聞くと、あんなに中身が詰まっているのに、
空洞のカボチャ頭が浮かぶもので。
カボチャの種をくりぬくと
ちょうど心臓が入りそう
紅くて重くて甘くて
詰まったカボチャの中で眠る
そんな休日もいいかも知れない
ねぇ、あなた
これも、「カボチャ」のお題。
カボチャの種をくりぬいた場所って、
丁度心臓が入りそうだな、
と思ったが最後、、、
慣れないサメのお腹の中にいると
カボチャの子宮を思い出す
あの静か過ぎる甘い匂い
固くて満たされた空間
わたしはどうしてえぐりだされたの
ゴミ袋の中の諦めを
食い破った鳥のお腹で傷み
えんえんと転がされた
お腹や足先の放り出された先の
ここはサメのお腹
これも通り過ぎるだけ
光も届かない海底へ
投げ出されるまでの不可思議な通行
海の水はカボチャの子宮と同じく
冷たいだろう
どうしてそれでも始まりのお腹を愛おしむのだろう
これも、「カボチャ」の詩。
けれど今回は種の回想録の詩です。
結局この詩を出しました。
小さな花を透き通らせて
わたしの頭の中の色を
撒き散らしましょう
それをゆっくり水やりし
陽を捧げては
咲き誇るときを
待ちましょう
とおい日の夕暮れのあとのように
水辺を叩いて話しかけながら
あした
あした
と名を呼ぶように
預けられた透明をどう使うのか。
明日のように呼べる。
そんな無邪気な呼びかけをしながら、
私は私の鏡を覗きたいのでしょう。
炭酸が胃へ駆け下りる
我先に穴を穿つように
叩きつけ底を破るように
色も香りも後回しに
口の大きさの分
骨と肉の間に付きまとうことなく
清濁を砕いて
小さな泡の圧縮たちは
私の胃を膨らませ
また一食を誤魔化してつないでいく
炭酸が飲みたいと思う時は、
何も食べたくない時のようです。
炭酸で膨らませてくれよ、と思うのです。
一時の間、
ぱちぱちと小さな花火のように、
胃を沸かせて上げてくれ、という詩です。
海が
はじまりに
にんまりと
笑う
海は
人の
終焉のときも
笑う
海が汚れ
侵され
潰されていく端々の砂粒を去っていく今も
笑う
どの立場に立っても、
海は変わりません。
何が起ころうと、
海は海なのです。
陽が押し上げていく気温
今だけの季節の冷たさ
これからどちらが恋しくなるのか
目に見えておかしい
わたしたちはいつでも少ないものに
群がってぶら下がって食らいついてしまう
少しでもわたしに下さいと言うのだ
誰のものでもないものに
明るさが増す
薄くなる遅い月
目から払われていく青
朝は二部劇の置き換わっていく
光の幕の向こうに側へ
わたしたちはいつも いつの間にか
立たされている
朝が、季節の変わり目には壮大な物語を語ってくれることがあります。
そのひとつのお話。
まるで大劇場。
その光の方へ私たちは立っていくのです。
離れていきますか あなた
私は離れているのでしょうか
誰の右手も借りず
巧みな足さばきもなく
ねぇ あなたひとり
離れていくのですか
ひとり ひとりと 成るが故
瞳が一対 等しく成るために
となりにいては、
目を見つめ合うことはできないでしょう。
その為には、離れることを恐れないあなたでした。
まわりが回ったら 私も回る
両手 波打たせ
膝をやわらかく使い
スカートは透ける素材を重ねては
広がり 浮かんで
しずかに音を鱗粉にする
それを楽しむくらいはしてもいい
胸を張って
音楽は何も聞こえなくとも回る
まわりが回り終わったら
少しの惜しみもなく
足をたたみ
スカートの毛並みを整え
見えないものに礼をする
私も楽しく回りました
見えないそれはきっと
同じ笑みで回ってみるの
地球、円、球、回っていくものに追いつきたい心の詩。
そしていつかの終焉も、
惜しみなく足を折りましょう。
以上、詩の解説のようなものでした。